お問い合わせはこちら

菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第221夜】

経済格差の是正策

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

コロナの第六派でクラス会が流れた

 今日のお客様は着飾った女性たち。年が明けたらコロナ感染者増で何度目かのまん延防止措置がアナウンスされ、多人数の集会は軒並み中止を余儀なくされた。ホテルのホールで予定されていたY子さんの母校の同窓会もその一つ。幹事からの連絡が間に合わず、会場に着いてみれば、憤然としている者が幾人も。このまま家に帰ったのでは、ダンナや子どもにおめかしを笑われる。女だけで飲んで愚痴ろうと、Y子さんの提案で久寿乃葉に押しかけてきた次第。

 コロナ騒動は「富士川の雁(かり)だったわね」と文学的表現をしたのはM代さん。水鳥の飛び立つ音を敵襲と間違え、作戦も陣形を放りだした統制のないさまを形容した平家物語の一節だ。

「コロナなんてたかが風邪のウイルス。それを抑え込むと称して行動規制や人流抑制。それは困るという事業者に交付金、調整金、補助金バラマキで後援者を取り込む。これだけカネを配れば再選確実。コロナに乾杯だ。その財源すべてが赤字国債という〝将来世代〟からの収奪だから〝現在の有権者〟からの反発はないとの計算づく。菜々子ママも、コロナ協力店として補助金をたんまりもらったでしょう」

 この人正直すぎるのか、単に酒癖が悪いのか。前半はともかく、後半部分にはコメントできません。

「コロナ撲滅。ゼロコロナを達成せよと、マスコミに踊らされたわれわれ国民の責任よ。政治家のレベルは有権者の民度を超えることはない。他人を責める前にわが身を振り返りましょうよ」。このN美さんの発言に関して、Y子さんが菜々子の耳に口を寄せ、「あの人は学生時代に級長だったのよ」。納得した。

経済格差が拡大

 菜々子だってコロナについては、――正確にはコロナに対する人間の対応についてという意味だが――、言いたいことはヤマほどある。政府はコロナ禍を逆手に取って、先送りになっていた日本の社会経済を改革したいと言っている。それが言葉いじりだけでないならば、具体策を示してほしい。日本人は狭い島国で肩を寄せ合って生きてきた。そのため困っている人を見捨てられない。その結果、既得権益を打ち破る大胆な改革に突き進めない。でも反面、改革での痛みを補う手立てが示されれば、〝お互い様〟の合言葉でワッショイ、ワッショイと構造改革を成し遂げてしまう。その好例が明治維新。それまでの秩序を逆転させる〝革命〟には不向き、三方一両損の〝改革〟ならば受け入れるのだ。

 具体的なところでは岸田総理も問題視する経済格差の拡大傾向とその解消策だ。企業のトップを呼びつけて「賃金を増やしなさい」と説教すれば解決することではない。

「そのとおりだわ。総理大臣は人間社会のリーダーに過ぎず、全能の専制君主でもないし、まして一神教の神ではあり得ない」。Y子さんに続いて、N美さんが「コロナの2年間で世界の99%は収入が減ったが、残り1%だけは逆に増えた。トップ10人に限れば資産が倍増したというわ。それをどう考えるか」

 個人財産を認めている以上、才覚や元手がある人におカネが流れ込み、資産を積み上げるのは当然の成り行き。その流れに逆らおうというのであるから、よほどの覚悟と社会システムの整備が求められる。そしてその前提として有権者の意識改革と賛同が必須の要件になる。これが民主主義社会の掟である。

強制的措置は向かない

 まず収入の格差是正だが、大きく分けてアプローチは二つ。まずは稼ぎが足りない人への対策をどうするか。賃金を上げよと政府は企業に迫っている。企業の経営事項であるはずの賃金に政府が口を出す。「官製春闘」の言葉も聞かれる。これは有効か。

「内部留保がある企業では可能かもしれない。けど衰退産業分野で政府助成金にすがって生き延びているような赤字企業はどうするのよ。経営補助金に加えて、賃金を政府が補助するのでは、かつての国鉄と同じで、政府の財政赤字が増えるだけ」。M代さん、しゃっくりといっしょに言葉を吐き出した。飲むピッチが速いよ。

 賃金を上げるには、まず企業の収益がよくなければ不可能だ。企業の生産性、収益性を上げることが先決。卑近な例で見ても、コロナのワクチン、治療薬すら国産できないようでは話にならない。付加価値が高い製品、サービス、ノウハウを売って海外からしっかり利益を得る産業構造を築くこと。

 次に労働生産性を引き上げると同時に、需給関係をタイトにすること。「技能なんかすぐに陳腐化する。ダラダラ残業せずに、さっさと帰って自己研鑽の勉強をする。この国には天然資源はないのだから、人的資源を最大活用しなければダメよ」とN美さん。具体的には、自己研鑽の勉強費用をそっくり所得税から差し引くことを提案した。例えば資格取得受講費用分が所得税から軽減され、合格するとその後5年間にわたって同額の還付が続く。勉強すればするほど税が軽減されて、可処分所得が増える仕組みだ。「転職してもらって賃金が上がれば、長い目で見て税収は増える」とN美さんは計算数値を示した。

「需給関係では外国人労働力の受け入れをやめるべき」とY子さんも参戦。低賃金でもよいという人がいるのが問題。受給がタイトになれば雇う側は考える。ITやロボットの活用など、必要があることで業務への応用が進む。机上で「こうあるべし」と講釈するのではなく、産業界がそうせざるを得ない状況を作り出すことだという。ごもっとも。

 働かない人の存在を前提にしての議論は有害無益。だれもが社会で役に立つ存在でありたいと思っている。その信念を共有することだと、M代さんがまとめた。

収入や資産に上限が必要か

 相対的格差にはどう向き合うべきか。同一性の高い日本社会で並外れた富裕者を許容すべきか否かである。

「ユニクロの創業者のように1兆円を超える資産家がいるけれど、資質とチャンスに恵まれただけのことであり、批判すべきことではない」とN美さん。Y子さん、M代さんは頷いた。菜々子も従った。儲けすぎることは罪ではない。ただし持ちすぎることで何を得るのか。個人資産が1兆円を超えるリッチマンはわが国にもいて、成功のモデルになっているが、当人はそれで幸福なのだろうか。

「ウォルト・ディズニーの相続人が富裕税導入を求めているよ」。M代さんがネット記事を紹介した。自分たちは世の役に立つことをしていないのにカネが入ってくる。これは公正なことではないから、各国政府が税で徴収してほしいのだそうだ。

「それを本気にして富裕税を導入しようとしたら、天地をひっくり返す騒動になるわよ。そもそも富裕者の定義をだれが決めるのよ。私なんか、1千万円以上持っている者を〝富裕者〟と思うわ。だって私の預金がそれには届いていないから」とY子さん。

 その気持ちよく分かる。預金が増えて1900万円になったら、「2000万円持っている者が富裕者」と主張することになるはずだ。

「そんなの簡単」との断定口調はN美さん。「必要以上に持っていると自覚している者が富裕者なのよ。家族の数や寿命への考え、生活様式、人生観によってさまざまのはず。自己判断を迫る簡単な制度を用意するのよ」

 N美さんの提案はたしかに簡単明瞭だった。1条だけからなる法律を制定するのだ。「だれもが政府に使途明示の寄付をすることができる。年間寄付額の1割相当額の範囲内で、内閣総理大臣が指定する方法のうちから政府資金で当人の意見広告をすることができる」

 民主主義社会では、各自がさまざまな政治提案を持っている。しかし議員にならなければ実行させる力はゼロである。そして国会や地方議会の議員になるには、バカみたいな運動をしなければならない。かといって議員にカネを渡して政策を講じさせるのでは、贈賄罪として獄につながれる。であれば政府に寄付することで、政治的意見表明の権利を得る道を開けばよいのだ。新聞やテレビの枠を得て、意見を表明することができ、その際には政府への寄付者であることの説明とともに、その意見に同調する専門家の前向き論評が付されるのだ。

「民主主義は百家争論が基本だから、たいがいの説には賛同者が少なからずいる。政府がその意見への賛同者を探してコメントをさせてくれるのだから、心強いはずよね。建設的で実現性ある政策として、有権者の同意を得ることになるかもしれない」とY子さん。

 M代さんは懐疑的で「意見表明はもともと自由なはず。寄付なんかしないで直接にマスコミを使った政治的意見表明をした方が安上がりだわ」

日本人の心情をどう捉えるか

 待っていましたとN美さん。「先に寄付するところがミソなのよ。それによって『この人はカネ儲けの亡者ではない』と国民が納得する。『しっかり聞いてやろう』となるわけよ」。そして寄付とセットになる税制改正案を披露した。彼女曰く、日本人は同一性を重んじる民族。その気持ちをくすぐることが重要なのだという。

「資産を持ち過ぎた結果が遺産でしょう。国民の公平の上では、遺産の貰い過ぎはよくない。そこで配偶者、子、孫といった法定相続人では1億円までの受贈は非課税だが、それを超えると9割を相続税として徴収する。他人への相続では非課税上限は1千万円。こうしておくことで、死ぬまで財産を持っている価値を減じさせるのよ」

 なるほどね。この仕組みにより億円単位で稼ぐ意味がなくなる。大企業の経営者の報酬相場もおのずから一定範囲内に収斂するだろう。つけ加えて所得税率の累進表では4千万円超は45%で一律だが、1億円以上の特別枠を作って税率90%にするのはどうだろう。

(月刊『時評』2022年4月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。