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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第220夜】

宅配のルールはどうなっているか?

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

コロナで宅配が大はやり

 宅配がブーム、日常生活に定着してきている。ネットで注文すれば指定の期日に配達してくれる便利さだ。しかし利便にはコストが伴うのも道理。カウンター席に並んでいるM夫婦の体験事例をもとに考えてみよう。

 Mさんは生カキ(牡蠣)が大好物。それを知っているから、冬になると奥方の実家が新鮮なカキを送ってくる。念を入れて在宅日を電話で確認、今回は〇月〇日の午前中と定まった。指定の日にはMさんは朝から玄関チャイムが鳴るのをそわそわ待っている。

 ところがMさんに急な用事ができて出かけることになった。代わりに奥方がパートの仕事を半日休み、午前中配達を待っていた。昼まで待ってもチャイムが鳴らない。午後からパートに出た奥方は帰宅時に郵便受けを覗いたが、不在配達票は入っていなかった。

 帰宅したMさんはカキ酢で一杯の期待が外れて不満顔だったが、実家に電話することまではしなかった。カキの収穫状況によって発送日がずれることは、これまでもあった。実家の義姉に(奥方ではなく)自分が直接確認するのは催促するようで気が引ける。

 奥方は翌日、デパートで直送生カキを買って食卓に出した。たらふく食べた夫は「キミの実家のカキはいつ食べてもうまいなあ」と誤解したまま感想を述べた。奥方も「実は…」とのタネ明かしをしなかった。実家のカキが届いた時点で、もう一度喜ばせようと思ったからだが、ここで実家からのカキが到着済みとの誤認が二人の心に定着した。

宅配ボックスにカキが…

 それから5日後のことだ。夕飯を外食した夫婦が戻ってくると、郵便受けに不在配達票が入っていた。マンションの共有宅配ボックスにネット注文した文具が入っているようだ。自宅宛ての配達物があれば、専用のカードキーで取り出す仕組みになっている。不在票は1枚だったが、ロッカーにはもう一つ荷物が入っていると表示がされた。

 そちらを開けると実家からのカキが入っていた。「やっと届いた。明日はカキ料理にしましょうね」と奥方は冷蔵庫に入れたが、カキに目がないMさんは鮮度が落ちたのを食べるとどうなるかも心得ている。奥方が破って捨てた送り状をゴミ箱から拾って点検した。

「配達予定日は〇月〇日と明示されている。もしかしてその日からずっとボックスの中に入ったままであったということはないのか」。奥方は〇日以降を思い起こすが、郵便受けにカキの不在配達票が入っていた記憶はない。留守電にも、メール受信歴にも宅配業者からの連絡履歴はない。

目の前のカキを食べるか、捨てるか。

「冬のことだし、宅配ボックス内はひんやりしているから多分大丈夫よ」と奥方。だが、食あたりして苦しむのはMさんである。奥方はカキ産地の生まれなのにこれを食さない。

「宅配業者のミスでしょう。送り直してもらえばいいのでは」とMさんの肩を持ったのは菜々子。「カキのような生ものを宅配ボックスに入れるのがどうかしている。それにそもそも配達予定日の午前中に連絡がなかったのでしょう。連絡ないのにわざわざ宅配ボックスを覗かないわよ。普通は」

「そうなの。だけど業者が開き直って、連絡票を郵便受けに確かに入れたとか、メールを送信したはずだと主張されれば、それがなかったという証明は難しいわ。証拠を隠したのだろうと責め立てられれば、頑張り通す自信がない」。奥方は弱気。悪徳企業による消費者いじめテレビドラマの見過ぎだろうか。

「カキは結局どうなったの」と菜々子。Mさんがピンピンしているところを見ると、よほど胃腸が丈夫か、それとも泣く泣く食べずに処分したか。

追跡システムは万全

 実際の配達日がいつだったのか。Mさんはそれを知りたかった。発送遅れであったならばもったいないから食べよう。そうではなくて宅配ロッカー内で5日間も転がっていたのであれば、やはり命が惜しい。Mさんは思い切って宅配業者に電話してみることにした。あくまでも下手に「不在票は入っていたのかもしれないが、見当たらないので一応聞きたい。ロッカーに入れたのはいつの日のことか」と。予想とは相違して、Mさんがクレーマー扱いされることはなかった。区役所等の窓口でのぞんざいな対応に慣れきっている小市民としては、思いがけない対応だったと感想を述べたが、これは蛇足。送り状には記号番号が振られている。オペレーターに促されて読み上げると、送付状に記された予定日の「〇月〇日に配達完了」になっているという。

 配達日が明らかになったことでMさんの肚は「処分」に決まった。残るは自責の念。予定日に届かなかった時点で、なぜ親戚に発送の有無を電話確認しなかったか。そうしていれば宅配業者に追跡依頼されていたはず。自分に落ち度がないとは言い難い。Mさんも奥方同様、相手を責めるということを知らない。純朴な日本人の典型例とでも言えようか。

 カキをどのようにして捨てるか、工夫しなければ、匂いを発して近所迷惑になる。ビニールでぐるぐる巻きにしようとしているところへ、宅配業所の現場配達事務所から電話があった。要件は、カキはまだ手元にあるのかの確認。あると答えると「引き取る」と言う。渡りに船とでも言うべきか。夜分にもかかわらず受け取りに来た。そして「商品交換の手続き中」と言うではないか。「新鮮なカキを食べられる」とMさんは舞い上がったと奥方。

どこに問題があったのか

 ここでMさんのもう一つの疑問点。不在連絡票はほんとうのところ、入れられていたのかどうか。と言うのは、以前は必ず入れられていたが、配達方法を変えるとのチラシとアンケートがあったような記憶があるからだ。たしかコロナ騒動で配達量が増えて省力化が必要だからというものだった。聞かれたのは、不在の場合、「再配達票を入れずに、郵便受け・宅配ロッカー・玄関先等に黙って置いてかまわないか」というものだった。配達人に何度も足を運んでもらうのは申し訳ないから、「かまわない」と回答したはずだ。そのこともあるからMさん夫婦は、宅配ボックスを点検していない自分たちの責任を感じたのだ。

 配達人は、一度はチャイムを鳴らすだろうが、その時入浴中だったり、手が離せないことをしていたり、ということがある。配達人は、郵便受けに入るものならば入れるだろうし、大きければ宅配ボックスに入れるだろう。その際、郵便受けにその旨の紙片が入れられるのかどうか。入っていれば宅配ボックスを確認するはずだ。Mさん夫婦は「自分たちが見落としていたのかもしれない」と心配したのには理由がある。

 かなり前のことと前置きしてMさんが語る。管理人から宅配ボックスに半年前から荷物が入ったままだと強く注意されたことがある。お中元の缶ジュースだったが、賞味期限切れで捨てることになったという。先方には悪いし、食材廃棄の罪を犯したことになる。それからしばらくは週に一度くらいは宅配ボックスにキーカードを差し込んで荷物の有無を見ていたが、しばらくしてやめてしまっていた。その負い目があったわけだ。

生ものの配達責任

 コロナ以前のことだが、不在連絡票ではこういうこともあった。ある人から果物籠が届いたのだが、あいにくMさん夫婦は海外旅行中で不在。帰宅すると郵便受けには不在連絡票が何枚もあった。慌てて宅配業者に連絡したら、腐ってしまうので発注者に送り返したという。気まずい思いをしたが、今回は果物よりもさらに日持ちが良くないカキである。

「お宅の連絡先を宅配業者は知っているのでしょう。不在の時点で、なぜ電話などをしなかったのかしら」と菜々子。配達日が指定されているのだから、待っているのが普通だが、応答できないこともある。その場合の法的な危険負担は受取人にあるのだろうか。

 古くなったカキを受け取りに来た宅配業者はこう言ったそうだ。

「配達した者が新人で、『生ものは不在の場合は持ち帰る』とのマニュアルを十分理解していなくて、宅配ボックスに入れてしまった。当方のミスである」と。ただしそれが法的な整理に基づくことなのか。規定外の顧客サービスなのかの説明はなかったという。契約ではこうした細部の詰めが重要なのだ。菜々子も一応、事業者の端くれですから。

 数日後、宅配業者から電話があり、カキの販売業者からもう一度送ってもらう手筈がつき、代価は宅配業者が負担するという。それで本件は落着だが、法的責任論の面ではどうなのだろう。というのは今回、Mさんの食い意地が勝っていて、生のまま食べて食あたりで死んでしまった可能性だってあったからだ。その場合、補償はあるのかないのか。

 想定される結論は次のようになろうか。

 甲説:生ものの配達には業者として特別な配慮が求められ、安全とされる日を過ぎて配達した場合の食中毒責任はすべて配達業者にあり、補償責任が生じる。

 乙説:冷蔵梱包状態で受取人の管理下である宅配ボックスに入れた時点で配達業者の責任は終了。その後の不適切管理の結果、食べて健康障害を起こしたりしても当人の自己責任。

この両者の中間に幾通りもの考えが成立する。

 このほかにも、先のように配達コストの関係で玄関先に置いて帰る形態において、それが盗まれたりしたときに賠償義務を負うのか否か。手渡ししていないのだから業者の手元に受領証はなく、配達の有無の認否でもめそうだ。玄関前への置き去りを「包括的に事前承諾したではないか」と配達業者が主張すればどうなるのだろう。

 今後も宅配は増える一方だろう。業者を通じての共通的ルールはあるのだろうか。

(月刊『時評』2022年3月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。