2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
コロナでの一律給付金
全国民に10万円が支給されたのが一昨年夏だった。もらった時はうれしかったが、今になってはどうだろう。1億2千万人相手だから、給付額だけで12兆円。その財源は赤字国債。つまり将来世代からの借金。子孫に負債を背負わせてどうするのよと思う。これに対して「国債は借金ではない」との珍説が語られる。鎌倉幕府や室町幕府を滅ぼした「徳政令」を必然にするトンデモ理論だと思うけれど、経済学に疎い者は黙っていろと叱られそうなので、別の観点から見てみよう。
国民が稼ぎの中から国に納めるのが所得税。その総額は本年度当初予算で19兆円くらいだったと思う。その内から12兆円を引けば、実質所得税収は7兆円、3分の2の減税をしたのに等しい。だったら正面から減税、つまり一人当たり10万円の税金還付をすればいいではないか。
これが常識外の発想であることは分かっている。所得税を払わない非課税世帯が何割もある。そうした世帯には還付のしようがなく、自治体に代わって税務署が交付金を支給することになり、徴収専門部署が支給部署に衣替えする。それが実務的に可能ならば、その他の補助金などの現金取り扱いも税務署で足りることになり、自治体の給付窓口の整理につながり、公務員の削減につながり、非現実である…。
でもそれを非現実というのであれば、政府が国民にカネをバラまくのは合理的なのか。ローマ帝国衰亡の象徴とされるのが「パンとサーカス」というバラマキだった。今回の給付金がそれとどう違うのだろう。
衆院選とバラマキ
新たに給付金が支給される。前回と違うのは、18歳以下の子どもがいる世帯に限定したこと。バラマキではなく、政策目的を持った政策なのだそうだ。
「でもその政策目的がはっきりしませんね」とMさん。「子育て支援なのか、それとも生活困窮者対策なのか。政策目的は明確でなければなりません」
甲論乙駁が久寿乃葉の常。Oさんが応じる。「政策意図ならば明白だよ。衆院選で集票のための餌撒きとしてある党が言い出した。対抗して『ムダ金を使う余裕は政府にない』と言えばよいものを、『お宅の党はケチだな』と批判されると怖れて、負けずにわが党も支給すると公約に入れる…」
Tさんも「『バラマキには増税が必要だが、それをどうするのか』との正論を唱える政党がない。バラマキと消費税廃止を同時に言って平気なのだから。どうやって実行するのかと問いたいね」
答えは予想できる。選挙用のリップサービスに食いつく有権者がバカなのだというのが一つ。でもそのまま言うのはさすがにまずいから、バラマキで景気が上向き、所得税収など2倍、3倍になって返ってくると説く。だが実際には、バブル崩壊以降、その理屈で景気対策を講じ、政府は1000兆円の借金を負ったものの、目的のGDPはまったく増えていない。それはなぜ?
現実的方策を考えよう
今回もバラマキを国民が望んでいるのか、それこそ国民投票で聞いてみるべきだと思う。久寿乃葉での議論から推論すれば、結果は見えている。だから政府は焦点を明確にした世論調査をしない。バラマキ同調の政党や国会議員も同じに違いない。政治と国民意識に隔絶が生じている。これはコロナどころではない。国家としての本質的な危機ではないのか。
文句ばかり言っていてもお酒はおいしくないわ。前向きの議論をしましょうよ。
「一律に支給するのは分配金というイメージでよくない」とMさん。赤字で危機のときにボーナスを支給する会社はない。従業員の意識改革、生産性向上のためになけなしの資金を投入する。バブル崩壊以後、国際社会で一人成長から取り残されている日本に必要なのは、われわれも頑張れば成長力を取り戻せるという共通認識だと思う。
その視点で考えよう。コロナで離職や収入低下の不安を抱えている人には何が必要か。「国際競争力を失ったいわゆるゾンビ企業が政府からの補助金で生き延びている。それを淘汰し、成長性ある産業を伸ばさなければならないことは分かっているが、反発を恐れて政治決断できていない。コロナを契機にそれを断行するのであれば国民は支持する。新しい産業に転ずるために高度スキルを習得したいという人を募り、集中的に技能教育とその間の生活保障をすることだ」とOさん。元経済官僚らしく「一律平等ではなく、意欲ある者に集中投資」との主張だ。
今回の給付金は18歳以下の子どもが対象になっている。時代を担う子どもの成長への投資という意味合いだろう。カネを与えれば比例して健全成長するというものではない。「孫がゲームばかりで」と嘆いているTさんは、子どもに挑戦目標を与える必要があると主張する。一律に10万円支給しても、その親が進学資金として貯金するだけ。子供向けにありとあらゆる挑戦機会を用意する。ゲーム大会でも、スポーツでも、文芸方面でもよい。そこで優秀者、努力敢闘者に表彰状と副賞を与える。それで頑張ることが根付けばその効果はその先、何十年も続くはずだ。
「子どもの能力、可能性をもっと評価すべきだと思うぜ。既成概念にとらわれない新分野が日本社会を変えることになるのだ」とTさんは力説した。
社会常識を変える
これには菜々子も同感だ。先日新聞で見た記事に「コオロギで食料問題解消」というのがあった。わが国のネックは天然資源がないこと。食料もその一つ。政府によると自給率は必要量の数分の1。これでは安全保障の足元もおぼつかない。穀物生産にも牛ブタの飼育にも、広い土地が必要だ。ならば土地を必要としない食材に切り替えればよいと発想した人が、「昆虫を工場で大量飼育し、それをすりつぶして食材にすればいい」と考えた。既に実用化しており、パンからハンバーグから、あらゆる食材に代わる。タンパクの質もよいし、味付けも工業技術で改善される。「虫を食うなんて」の意識払拭が出発点だ。
「牧場の牛が発するゲップによる炭酸ガス、メタンガスが温暖化の元凶の一つとされている。日本人は牛を食べないと宣言できれば、温室効果ガス排出量取引で、日本は払う側からもらう側に入ることだって夢ではない」とOさん。「いい技術ならすぐに各国がまねるが、それでも今よりは日本の立場はよくなる」とMさんも同調した。
一事が万事、必要は発明の母。ミドリムシだって石油に代わる燃料になろうとしている。昆虫生息の適地である地理条件を活かすのだ。石油がない、土地が狭いという固定概念的な制約を取り払うには、前提を縛らず、子どもたちの自由な発想力を伸ばすことだ。
政策発想にも転換が必要
菜々子はそういう夢のある話が好き。だけど目先の人気取りに汲々の政治家先生に、発想の転換を期待できるだろうか。だって10万円配ると公約すれば、票がガバガバと集まると有権者を見下している人種なのだ。
「選挙制度がよくない」と言うのはMさん。報酬目当てで立候補する者を排除すればよいと言う。ある政党が主張しているように、議員の活動領域を保障する観点から、文書交通費など領収書と引き換えにどんどん支給すればよい。国家施策上当面使途を明かせないと議員が判断する部分は、開示しない期限の注記付きで金額のみでの報告を認める。その代わりサラリーマンの賃金に相当する歳費は支給しないことにする。自身の生計費を用意できていない者に、国民生活の心配をする能力があるとは思えないからだ。賞与の支給に至っては論外。引退するか死亡した時点で、その人の政治家としての功績を国民審査して支給の可否を決めればよい。
違う観点から言及するのはOさん。選挙区を分かりやすく再編しようと提案する。ひとり1票のはずなのに、小選挙区と比例区での2票行使はおかしくないか。言われてみればたしかに違和感がある。思い切って衆議院は小選挙区、参議院は比例区でというのはどうかとおっしゃる。選挙区割りは党利党略が絡まり、絶対に全員賛成とはならない。各派の思惑を汲み入れるたびに選挙制度は複雑になってきた。Oさんの単純さが長期的に見ればいいのかもしれない。小選挙区選挙と比例選挙で、衆参両院での政党間集票格差が生じるから、それぞれの院の特長を発揮することにもなるだろう。
予算の上限統制
でもこうしたことでこの国の政治を国民本位に取り戻すことができるのだろうか。国民は過去から未来へと連綿と続いていく。
「先人たちが築こうとした国の姿をどう保つのか。これから生まれてくる世代に対する責任もある」とTさん。「コロナごときでオロオロして将来世代の資産を先食いすることになった原因を分析することだね」
1千兆円の借金も返し始めればいつかは完済できる。そのためには一にも二にも単年度収支を黒字化すること。「単年度収支が赤字の年は政党交付金をゼロにすることにすればいいのよ」と菜々子。「議員歳費も半額返上すべきだな」とMさん。財政赤字は本来異常事態。そうなったのは政治の失敗でもあるのだから、議員が自ら身を切るという以上はそのくらいは当然ではないか。
(月刊『時評』2022年2月号掲載)