2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
同窓会の再開連絡
コロナで同窓会の自粛が続いた。感染傾向が収まりつつあるようで、再開しようとの声が聞かれるようになった。会食してもコロナに感染するとは限らない。その一方、同窓会を開かずに時が過ぎれば、永遠に会えずじまいになる旧友が増えるのだから。
コロナ対策は「人流を断つのが一番でこれに反する者は非国民」といった主張にはどうにもなじめない。コロナより大事なことを忘れていませんか。そう声を挙げたいのだけれど、一介の飲み屋の女将の主張など専門家は聞き流すだけだろう。
延期に延期を重ねてきた同窓会の実施案内が届いた。一昨年、昨年とも延期だったから来年3月に実現すれば3年ぶりである。早速電話してきたのがI子。
「A君、今回は来るかなあ。菜々子は彼の電話番号を知っているでしょう。聞いてみてよ」
「あんただって知っているでしょう。自分で聞けば」と返すと、消え入るような声で「電話番号なくしちゃった」と噓っぽい言い訳をする。
中学時代のI子とA君はともにクラス委員だったが、意見が合わず、いつも口論していた。お互いに主張を曲げないものだから、生徒会に提出するクラスの見解がまとまらない。早く帰りたい生徒は、多数決で決めようとせかすが、二人は相手を言い負かそうと議論をやめない。
この二人に関してクラス内の評価は、心底相性が悪いという説とお互いに相手に気があるという説で二分されていた。それを思い出したから「A君になぜ会いたいのよ。理由を言えば、連絡を取ってあげるわ」とイジワルしてみた。
級友を見間違う
「あんたも薄情ね」とI子。「前回の同窓会での彼の姿を覚えていないの?」
そうだった。中学時代、バスケット部のキャプテンで筋肉隆々のスポーツマンだったA君は、杖を突いてよぼよぼ歩いていたのだ。ほかの同級生より20歳は老けて見えた。最初、だれか分からず、『先生ってこんな顔だったっけ』とI子にささやいたら、たまたま後ろにいたほんとうの先生に『恩師の顔を忘れるとはどういうことだ』とどやされた。
I子はA君のそばに走り寄って手を引き、椅子に座らせていた。各自の近況報告の中でA君のスピーチは異色。がんになって余命宣告を受けており、今生の別れのつもりで参加したと。そのシーンを思い出した。あれから3年、A君どうしているかなあ。
クラス会の特徴は、会員全員が同じ歳であることだ。ただし歳の取り方は一律ではない。人生航路もさまざまだ。そしてクラス会に参加するのは、総じていわゆる勝ち組かそれに近い者たちだ。自分はちゃんとやっているよと伝えたくて、あるいは少しだけ自慢したくて参加する。そういう気になれない者の多くは欠席する。中にはすでに逝去しているとか、入院などで参加がかなわない者もいる。
欠席理由のあれこれ
前回のB子がそうだった。クラス会常連の彼女から出欠の返信ハガキが届かないと幹事から連絡を受けた。菜々子は仲がよかったはずだから、連絡を取ってくれないかとの依頼である。電話口でB子は泣き崩れた。
「主人が脳梗塞で半身不随になっちゃったの。身のまわりのことが何一つ自分でできない。会社からは体よく解雇されるし、世話するために私も仕事を辞めた。わが家は固定収入がゼロになってしまった。とても昔話で盛り上がる気持ちになれないの。ごめんね。でも、欠席の本当の理由はみんなに言わないで。海外旅行にぶつかっているとでもみんなには言っておいて」とB子。あれから3年経つ。ご主人の体調はよくなったのだろうか。
「C男のことを覚えている?」とI子が問う。「彼、左頬にあざ、右手にギプスだったよね」。3年も前のことをよく覚えているものだ。「近況報告では酔って転んだ」と言っていたけれど、実は違うのよ」とI子。息子を小学低学年から塾に通わせ、受験有名高校に入れたまではよかったけれど、授業についていけず、まわりの生徒からいじめられて、ひきこもりになってしまったのだという。このままでは人生に落後する。立ち直らせるにはどうしたらいいか。話し合おうとしたところC男に殴りかかってきた。それがあざとギプスの真相なのだと打ち明けられた。クラス委員だったI子に相談したかったのかもしれない。
「私、結婚してないし、家族はいないし、子育て経験もない。どう言ってあげればよかったのか。C男、今回参加するかなあ。状況が変わっていなければ、今度はまともな対応をしてあげたいのだけど。菜々子だったらどう言う?」
未婚、無子の点では菜々子はI子と同類。私に振られても無理だよと突き放す。
ほかにも下流老人になる理由が…
「下流老人」という言葉がある。老後を安穏に過ごす環境が整っていない者を指す。具体的には、収入が著しく少ない。十分な貯蓄がない。頼れる人がまわりにいない。三つすべてに欠けると、満足な終末を期待できない。行く末が心配で心が晴れることはないだろう。
D男とE子の場合がそうだ。同級生だった二人が結婚したときは、クラス仲間全員が式に呼ばれて盛り上がった。「二世を誓い合った仲で、連枝の松のように生涯を添い遂げる」と誓いの言葉を述べ、授業で教えた言葉を覚えていたと国語の先生がいたく感激していたのが30年前。クラス会の常連だったが、3年前に欠席した。噂では離婚したとのことだった。その後に漏れてきたのは、財産分与や子どもの親権をめぐるドロドロ劇。調停でまとまらず、本格裁判で何年も争った。消息通のI子が分析する。ようやく分配割合が決まったものの、弁護士費用で家も預金もなくなってしまい、二人とも今は反省の日々だという。
「世帯を分ければ生計費は倍増するから」と離婚したのに同じ家に住んでいる。食事も分け合っていると聞く。E子はシェアハウスのようなものよと笑っていたけれど、それなら離婚せずに、家庭内別居に留めておけば、家も預金もなくさなかったはずに続けて、「なんで離婚したかったのだろう。子どもの親権争いが決着する頃には、その子は独立して出て行ったのよ」とI子。結婚歴がない彼女や菜々子には永遠の謎で終わるかも。
「F子の場合も深刻だわ」と菜々子が新情報を提供した。彼女のご亭主は歳が一回り上。大企業で昇進も順調だったから、妻のF子はぜいたくな有閑マダム暮らしだった。クラス会に着てくる服、靴、装身具、バッグはブランド品。その彼女と数日前に出会ったのだ。スーパーでレジ打ちおばちゃんに「菜々子じゃないの」と声をかけられた。知った顔であるが、とっさに思いだせない。ムニャムニャその場をごまかし、商品の袋詰めをしていてF子だったと気がついた。
「フーン、あのF子がスーパーでパート?見間違いではないの」と信じられないI子に菜々子が続ける。勤務時間が終わるからと彼女が寄ってきて、喫茶店でお茶をして、彼女の気の毒な近況を聞くことになった。ご主人が副社長ポストで会社を勇退した頃が絶頂期だった。退職金に慰労金に会社株を売ってのストックオプション。三代、孫の世代まで贅沢しても使いきれない資産があった。海外旅行に出かけると、どこで聞きつけたのか会社の海外支店の幹部が観光や会食をアテンドするから、持参した旅行資金を使い残してしまう。「健康でさえいればバラ色の老後」だったそうだ。ただし好事魔多し。
暗転に気付いたのは夫に軽い認知症状が見られるようになってから。引退後もひっきりなしに電話がかかってくる。ある日、取引銀行の支店長が彼女に折り入って話があると訪ねてきた。夫の預金残高が目に見えて減っており、送金先がよからぬ相手ではないかというのだ。調べてもらうと何度もインチキ商品や投資話に引っかかっていることがわかった。一度カモにされるとその情報が出回り、次から次へと騙されるとは聞いていたが…。
資産がわずかな庶民は虎の子が入った預金通帳の残高をいつも気にするが、資産が多い者は日々の出入金に無関心になりがちだ。それにF子の夫のような経済感覚があるはずの者が悪徳業者に騙されるとは周りも考えない。F子が気付いたときには、あらかたの金融資産が消え、なおかつ消費者金融にもかなりの借金が積まれていた。
老後の経済生活を守るには
F子が語ったところでは、家や別荘を処分。田舎にあった先祖伝来の屋敷や家宝の類も売却して、借金を返済した。そして夫婦で小さなアパートに引っ越した。夫の認知症は一進一退。昼間はデイケアに通わせており、その間、F子がスーパーでパートをして稼いでいるという。その歳になってからたいへんね。菜々子の同情に対するF子の答えがよかった。
「人生思い通りにはならない。でも私はよかったと思っている。結婚以来、夫のおかげで安楽な暮らしだったが、いつも負い目があったの。でも今は私が夫を養っているのよ。海外観光に行くよりも、高級ワインを飲むよりも、夫のベッドの横に座って、今日のできごとを話して聞かせる暮らしの方が充実している。生まれ変わった私を今度の同窓会で紹介するわ」。
F子の気持ちの切り替えはみごとの一言。「終活の見本かも」と相槌を打った。
決意表明
I子は違っていて、「人生、一寸先は分からないわね。私は歳とっても生活水準を落とさず、蓄えがなくなれば生活保護費をもらうわ」
「それは了見違いよ」と意見してもI子は譲らない。「困っても私には頼ってこないでね」とだけ伝えた。
(月刊『時評』2021年12月号掲載)