2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
Tweet婚姻の自由に関する判決
「こんな判決を認められるか」「何を言っているのよ、石頭!」
お座敷から言い争う声。仲裁に走る菜々子。この場合の道具立てはビール瓶。「まあまあ、頭を冷やして一杯」とお酌するためだ。「女将、いいところに来てくれた。ひとつ話を聞いて、意見を聞かせてくれよ」とA夫さん。座卓をはさんで対峙するB美さんは、菜々子からビール瓶を取り上げ、自分のグラスに注いで、一気に飲み干した。A夫さんがグラスを差し出したが、それには知らん顔。それでは菜々子がと手を伸ばしたら、B美さんはビール瓶を菜々子の手が届かないところに押しやった。
A夫さんによると、先般、札幌地裁で「男同士、女同士の法律婚を認めないのは憲法違反」との判決が出たという。「ゲイやレズビアンを“禁止するな、処罰するな”くらいなら、ボクだって反対しない。だけど正規の夫婦として、社会的に認知し、法律の保護を与えるべしというに至っては、進歩派のボクも常軌を逸しているとしか言いようがない」
すかさずB美さん。「だれを好きになろうが、自由に決まっている。そしてお互いにその気持ちが高ずれば、ずっと一緒にいたくなる。これを結婚というのよ。法的なカップルとして貞操を守る義務を負うし、まわりも誘惑しない。さらにお互いの財産への相続権を持つ。これを同性だからというだけで保護の対象外とするのは守旧派よ」
この二人は、法律が認める夫婦者の男と女。夫婦は対等というのがわが国の憲法の考え。活発に言いあうのはいいが、離婚への発展は困る。
恋愛と婚姻の質的違い
「B美の論理はメチャクチャだ」とA夫さん。「恋愛と婚姻を同一線上でとらえているが、この二つはまったく違う。恋愛は“好き”〝嫌い”のレベル。感情レベルだから、気が変わることもしょっちゅう。だから自由でいいのさ。だけど婚姻は生涯の関係だ」
A夫さんは家庭内の秘め事を漏らした。「娘に恋人ができたと家に連れてきたときのことだ。その相手がなんとスカートをはいた女だった。お前は半狂乱になって、こんな道ならぬ恋をするような娘に育てた覚えはないと騒ぎ、母娘絶縁の騒ぎになった。だがボクは慌てなかったぞ。そうしたらどうだ。半年もしないうちに別れたではないか」
「違うわよ。あれは私が『一生、添い遂げる覚悟があるのか』と問い詰めたのがよかったのよ。娘はそれで正気に戻った。だって女同士では子どもは生まれない。自分はやはり子どもがいる家庭を望んでいたと気づいたから、娘は彼女と別れた。『家庭なんか要らない。なにがあっても死ぬまでいっしょの覚悟』ならば、夫婦と認めていいはずだわ」とB美さん。「男と女の夫婦だって、どちらかに支障があれば子どもはできない。だからと言って『結婚して3年、子どもができない夫婦は離婚させる』なんて無法はこの国では許されないのよ」。菜々子も議論に加わる。
判決の論理構成
ここで二人の口論の原因になっている判決文(札幌地裁2021年3月17日)を見てみよう。スマホで検索する。事件概要は北海道内の同性カップルが、自分たちを正式の夫婦と認め、婚姻届けを受理せよと自治体に迫ったが、婚姻は両性、つまり男性と女性との間でのみ成立するものだと受理を拒否された。これに怒ったカップルたちは、国が同性同士の婚姻を認めないのは違法であるとして、一人につき100万円ずつの損害賠償を請求した。
争いの焦点の一つは憲法24条。1項に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」となっている。ここでの「両性の合意」は、性別を問わず単に二人の合意を意味すると原告は主張していた。判決は両性とは一対の男女のことであるとして、同性婚を許容しなくても24条違反にはならないとして、原告からの賠償請求を退けた。これで終えていれば物議をかもすことはなかっただろう。
ところが判決は憲法14条を持ち出した。その1項の規定は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的に差別されない」。ここでの性別差別禁止は婚姻にも及び、同性婚も保障されなければならないとして、「同性カップルに婚姻の法的保護を与えない裁量権は国会にはない」との結論を導いた。これが二つ目の論点だ。
同性愛とは何か
A夫さんとB美さん夫婦の娘さんは、いっとき女性同士で恋愛し、夫婦になろうと考えた。そのときだったら今回の判決を支持しただろう。だが、二人は別れ、今ではそれぞれが男性と結婚し、普通の家庭を築き、子どもを育てている。
A夫さんは体験に基づき、性的指向や性自認は、先天的でも恒久的なものではないという立場だ。同性愛を異常とまではいわないが、気が変わることが多い。男性、女性の身体形状が不変であるのとは基本的に違う。心理的な要素が多分にある〝性的マイノリティ〟を法的規範である婚姻に持ち込むべきではないと主張する。
B美さんはいわゆる〝性的マイノリティ”概念のあいまいさを認めつつも、生物では遺伝子継承の過程で、さまざまな例外が生じることを例示する。結論として「同性愛は精神的な病気ではない」と強調する。異常個体は通常自然淘汰で育たないが、性的マイノリティではそうではない。ただし社会的に阻害され、自身を偽って暮らすことを余儀なくされてきた。それでは、ありのままの個人を尊重すべしという現代の人権感覚とは相いれない。例外もまた、存在価値がある。その一つが同性愛であるという。
性的マイノリティ
性的マイノリティを示す言葉としてよく使われるのがLGBT。具体的には、Lはレズビアン(性自認が女性の同性愛者)、Gはゲイ(性自認が男性の同性愛者)、Bはバイセクシュアル(男性・女性の両方を愛することができる人)、Tはトランスジェンダー(身体的な性別と性自認が一致しない人=昔、テレビドラマの『金八先生』で上戸彩さんが演じていた)のことだ。
女将の意見を言えとA夫さん、B美さんが交互に菜々子を責める。でも白か黒かと一刀両断に結論を出せるのだろうか。「こういった人だっているでしょう。その人の人権を大事にしなくていいの」とB美さんに迫られると、「そうよね」と頷かざるを得ない。
今回訴訟を提起したのは同性愛者、すなわちLとGである。「片方がB(バイセクシュアル)だった場合、その人は『男性との夫婦関係と女性との夫婦関係の双方が認められるべきである』なんて議論になっては収拾がつかないぞ」とA夫さんに指摘されると、それもそうだなと翻意してしまう。
ところで性的マイノリティはこの4種で分類できるのか。新たな分類が次々に生まれているとのネット記事があった。LGBTQIAとされ、Qはクエスチョニング(自分の性別がわからない・意図的に決めていない・決まっていない人)、Iはインターセックス(一般的に定められた「男性」「女性」どちらとも断言できない身体構造を持つ人)、Aはアセクシュアル(誰に対しても恋愛感情や性的欲求を抱かない人)とされるとか。このほかにクィア的、インターセックス 、Xジェンダー、 パンセクシュアル 、アンドロセクシュアル/ジニセクシュアル、 アライ という分類もあるようだ。札幌地裁の主張を発展させれば、どの分類同士で婚姻を認めることになるのか。菜々子の理解力を越えてしまう。
婚姻とはそもそも何か
同性愛ということであれば、この時代、「法的に許されない」とする人はいないだろう。恋愛の自由。そして恋愛も契約と考えれば、恋仲にある同性愛カップルの一方の浮気は債務不履行になることもあろう。
だがこれを憲法や法律が保護する婚姻関係とするのは、よほど慎重でなければならないように思える。婚姻により親族関係になり、家族の絆が広がっていく。婚姻すれば、それまでは単に恋人の親であったのが、以後は自分にとっても義理の親になる。また婚姻関係で生まれた子は嫡出子として、親族の輪に当然に組み入れられていく。
さらに考えれば、家族とか親族は子どもが生まれることにより、維持され、拡大していく。子どもが生まれない社会は、100年後には自動的に消滅してしまうのだ。そう考えれば、家族とは子どもの居場所を保障し、子どもの誕生を待ち望む社会システムである。そうした家族、親族関係の基盤になるのが、夫婦とそれが産み育てる子ども。その法的保護が婚姻制度であるのではないか。
「子どもが生まれる可能性が婚姻制度の対象というのが私の結論」と菜々子は宣言した。
「では女将は婚姻を認められないわね」。B美さんに突っ込まれた。「だって女将は、失礼だけど、もう子どもを産めないでしょう。そうすると募集中の恋人が現われても、二人を法的なカップルとして保護する必要がない」痛いところを突くなあ。
「それを言ったら、娘が育ちあがったボクたちは婚姻を続ける資格がないことになるぜ」とA夫さんが菜々子に助太刀。B美さんのコメカミがピクッとする。危険信号。
「政府は子育てだけでなく、不妊治療にも力を注いでいるわ。技術進歩で70代、80代でも子どもを産めるようになるかもしれない。また子どもを産み育てた人では、その子の子ども、つまり孫の世話をする役目もある。菜々子の婚姻を認めてよ」と菜々子。
「それはかまわないが、候補者はいるのかい」。そこはノーコメント。
(月刊『時評』2021年6月号掲載)