2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
Tweet大好きな祖母殺害
「この事件、ボクの実家近くだったのですよ」
久しぶりに会ったHさんが取り出した新聞切り抜き。ざっと目を通す。介護疲れで祖母を殺害した22歳の女性に、2020年9月神戸地裁が懲役3年(執行猶予5年)の判決を言い渡し、確定した。
「人を殺して執行猶予。ずいぶんと寛大な判決ね」とコメントした。もちろんHさんの激昂を予測してのことだ。案の定の展開になった。
「問題は殺人への罪の軽重ではない。なぜ、この子が祖母の口にタオルを押し当てるまで追い詰められたのか。もっと記事をていねいに読んでから、もう一度コメントしなさい」
時間の余裕を与えられたので、今度はじっくり読む。その間、Hさんにはビール瓶を2本与え、手酌で飲んでもらう。一人営業だから、必然的にこういう仕儀になる。
事件の概要はこうだった。女性は1998年生まれ。両親の離婚、母親の死亡後、小中学時期を父方の祖父母に愛情深く養育された。その後叔母方に移り、その援助で短大を出て幼稚園教諭として働き始めたのが2019年4月。ひと月後、祖母が要介護度4の認知症状態になり、同居して世話することになった。仕事と介護でうつ状態になったが、祖母の子ども3人(女性にとって父親、伯父、叔母)はいずれも事情があって介護の肩代わりをできなかった。
仕事と介護を両立しようと、睡眠2時間で頑張ったが、5か月後に限界。10月8日の早朝5時半、「汗をかいた、体を拭け」と要求するかたわら、自分を叔母と混同して「親をないがしろにする」となじる祖母に、「もう黙って」とタオルを強く押し当てた…。
ワンオペ介護
「働き始めたところに、おばあちゃんの介護。二人分の業務をこなしていた。私だって無理だわ」
菜々子の介護体験は遠距離だった。久寿乃葉を休むわけには行かないから、平日は姉妹に任せて、菜々子は週末に郷里に向かう。平日は仕事で、休日は介護。体を休める日はなかったが、同一日に二つの業務をしたわけではない。事件の女性は、昼間は幼稚園の教諭、家では一人でおばあちゃんの世話をしていた。
「そうなんだよ」とHさん。「帰宅したら夕食を食べさせ、1、2時間おきにトイレに連れて行き、排せつごとにシャワーを浴びさせる。深夜の散歩にも付き合い、1日2時間ほどしか寝られなかった」
20歳そこそこで若いといっても、体がもたないはずだ。多分、勤め始めたばかりの幼稚園でも寝不足でミスをしたのだろう。祖母の世話を初めて2週間で限界を感じ、「介護は無理かもしれん」と父親と叔母に告げたが、聞き入れられなかった。というのは、父親は手足が不自由、叔母は小さな子を抱え、もう一人の伯父は自分の会社の維持で手一杯。
外部の手を借りればいいではないか。介護保険があるのだし。第三者はそう思う。だが家族には外部からはうかがい知れない事情があるものだ。
ケアマネジャーは「祖母の入院を勧めたが、叔母らが拒否した」と裁判で証言した。保険での一部負担や保険外の経済負担を警戒したのだろうか。平日の昼間にデイサービスに通うほかは、女性一人で抱え込まざるを得なかった。
介護者も人間
ほかにも親族はいただろうが、この女性には事情があった。祖母には小中学時代に養育してもらった恩義と愛情がある。また高校以降世話になった叔母には頭が上がらない。加えて祖母は性格的に難しい人で敬遠されていた。そんなこんなで、女性は「自分が介護しなければ」と思いこんだのかもしれない。
無理がたたり、介護を始めて3か月で腎臓を患い、重度の貧血になっている。軽いうつ病とも診断されている。医師からは退職か休職を勧められていたことも判明している。なぜ、その勧めに従わなかったのか。
「そりゃ、生活があるもの」とHさん。人間、霞を食べて生き続けることはできない。「祖母の介護を始めてから、おむつ代や食費も出している」と友人に打ち明けたという。祖母に潤沢な貯蓄があり、それを介護者が自身の生計費も当てていいのであれば、ワンオペ介護は成り立つが、このケースでは事情が逆。介護者の方が二人分の生計費を稼ぎ出すことが求められている。
幼稚園を辞めるとか、休むという選択肢はなかったに違いない。
「就職したばかりで貯金など持っているはずがない。給料も手取りで20万円といったところだろう。綱渡りの生計費だったはずだ」
介護もつまりは経済問題
女性には逃れる術はなかったのか。制度的には簡単だよとHさん。
「日本の法律は、自分の生活を壊してまで親族の世話をせよとは命じていない。『私には私の暮らしがあります』とケアマネジャーに言い残して、祖母の家を退去すればよかったのさ」
男の論理ではそうなのだろう。だが、「それではおばあさんが気の毒でしょう」とケアマネジャーに反撃されれば、たじろいでしまう。それが大和撫子なでしこの優しさ。自分が犠牲になることで、まわりのみんなが苦しまなければそれでいい。
「でも結果は悲劇で終わった。だれも幸せにはならなかった」。Hさんの指摘は辛辣しんらつだ。菜々子が母の介護で郷里の鹿児島まで通った往復航空券は、総額にすると高級乗用車か世界一周クルージングに相当するだろう。姉妹3人で均分負担しようよ。請求書送るから振り込んでねと言えば、姉たちは応じてくれたかもしれない。だけど「身内内ではしたない」の思いがあって言い出せなかった。
「そのほうがよかったよ。お姉さんたち夫婦は年金暮らしで余裕はないのだろう。久寿乃葉の収入があるママが剛毅なところを見せるのが、親族間融和の秘訣ひけつだと思うぜ」
Hさんは菜々子の腹の内を見透かしているかのよう。人間関係、行き着く先は金銭問題。今回の事件も基本は変わらない。
「おばあさんは介護保険の受給権がある。要介護4だから、保険でのサービス購入は月額31万円程度まで可能なはずでしょう。おばあちゃんの介護を嫌ではなかったようだし、デイサービス利用しないで、女性が全部を引き受けたらどうだったのかしら。そして31万円全部を受け取る。介護保険制度にとって給付額は変わらないのだから、いい方法ではないかしら」
菜々子の提案についてHさんが解説した。「ドイツの介護保険では、家族による介護も保険給付とされている。外部の介護事業者と契約するか、家族のだれかが引き受けるかを選ぶことができ、どちらの場合でも介護保険から報酬が支払われる」
介護保険の建付けを少し変えれば
知ってはいたが、Hさんの顔を立て、「物知りねえ。その仕組みを日本でも導入できないの」と促した。ドイツをまねて介護保険を導入することになった際、家族介護への報酬支払は除外された。菜々子の「なぜ?」へのHさんの回答は、「日本女性は自我を主張せず、献身的。もし家族介護を介護保険が経済的に評価したら、『守旧派のおじさんたちが女性を介護に縛り付けて封建的隷従状態に落とし込むことになる』と、進歩派を名乗る人たちが主張した。こうした人たちに実態知らずのマスコミ人が追従するから、当事者が『おかしいぞ』という声を挙げることができない」
いわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス)である。女性は男性と同等など、スローガン自体は絶対に正しく、ケチをつけようがない。「介護は女性だけがするものではない」。たしかにそうだ。でも、女性の家族介護を経済的無価値とすることが、女性の自立自尊とどう結びつくのか。肝心な点はボカスのが、この種の論者の常套(じょうとう)手段。
介護保険実施後20年経てどうなった。家族数の減少で、夫や息子による介護はごく普通。介護離職者が毎年10万人も発生している。その一方、“専門介護者”は大不足で、言葉があまり通じない外国からの出稼ぎ者(技能実習生)をかき集めることに現場は四苦八苦状態だ。
Hさんが簡単な計算を示した。要介護4での介護報酬は31万円。これが支給されれば、女性は幼稚園を休職、退職しても、おばあさんとの二人家計を切り盛りできた。仮に家族介護は専門能力が低いからと7掛けにしても22万円。幼稚園の初任者が公租公課を差し引いての手取りに見劣りしないはず。一人暮らしと違ってアパート代は要らない。
政策の目的はなにか
家族介護を評価しないことで、介護離職者は生活苦に陥る。いきおい仕事を続け、外部の介護事業者に頼るが、人出不足で外国人出稼ぎが頼りの常態。介護保険の目的は、介護事業者を儲けさせることではなかったはず。要介護老人と家族に安心を提供することだったのに、向かっているのは明後日あさっての方向だ。
若い世代も高齢世代も、年々上がる介護保険料に苦しんでいる。家族介護を評価し、これに報酬を与えることで、出稼ぎ外国人は必要なくなり、介護報酬が日本国民の手に渡り、国民の平均所得を引き上げる。介護離職、介護休職を選択する者の職場復帰や再就職の仕組みが必要になるが、「そんなことは応用問題。百万人単位で家族介護をすることになれば、介護した者が後で不利にならない社会に直すことは難しくない」とHさん。
政策には軸になる方向性が必須であると感じたのだった。
(月刊『時評』2021年5月号掲載)