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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第209夜】

あの3・11に何をしていたか

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

コロナ騒動で利する者とは

 コロナ騒動はいつまで続くのか。“炎上”を怖れずに言えば、国民が考えを正さない限り、半永久に続く。「コロナは特別な伝染病で、インフル、エイズ、ペスト、結核などとは比較にならない狂暴病原体。これにかかったが最後、差別迫害も免れない」。国民にそう思わせている限り、人々は感染を怖れてビクビクしていなければならない。その一方、コロナウイルスの撲滅は不可能なのだから、恐怖が支配を続ける。

 「ウイルス抑え込みには強権的隔離と強制検査が不可欠だが、民主主義国では人権への配慮でそれは不可能。民主主義の看板を下ろして、専制独裁の政治体制へ移行しなさい」とする習近平流の餌撒きに飛びつく国が現れ始めているのが今の国際情勢。中国共産党の世界制覇への手段にウイルスという新しい道具が加わったとするのが冷静な分析だ。そう考えれば今回のコロナは民主主義を守る上での一つの試練。短慮浅慮を避け、自由と民主主義を守り抜く決意に基づく長期戦略を立てて実行することが不可欠のはず。

 とは言うものの今の日本にはおよそウイルス戦略がない。コロナはしょせんコロナ。感染症法で特別扱いせず、インフルエンザ並みの扱いにしておけば、国民は冷静になり、百年前のスペイン風邪のようにいずれ収まる。それまでの間の死亡者数を受け入れる政治的度胸が問われているだけだ。「一人の感染者も出すべきではない。死亡者などもってのほか」とのゼロコロナ幻想に取り付かれている限り、社会的免疫は確保されず、国民精神の荒廃と国民経済の沈滞スパイラルが続き、習近平氏の術中にはまっていたと後世は評価するだろう。

 感染症抑え込みは専制体制でなければできないわけではない。日本では失敗したが、台湾では成功している。民主主義体制でも抑え込み可能が証明されるとはなはだ都合が悪い。それが共産中国の「台湾侵攻表明」につながっている。「共産党独裁にはさほどの利点はない」。この認識が人々の間に広がれば、1990年のソ連のように一夜で体制は崩壊する。独裁共産党の真の支持者はほんの一握りに過ぎず、それを強権と恐怖で取り繕っているだけなのだ。

昼飲みの時代

 以上が菜々子の考えだが、発言力などない市井の女将。行動面はお上に従順にしておかなければならない。かつて「面従腹背」を信条と豪語する霞が関の事務次官殿(官僚のトップポスト)がいたが、国費で養われ、国家権力を行使する立場の方にはふさわしくない。支配され、忍従の苦痛にさいなまれている被支配者が使うのにふさわしいスローガンだ。その点、行動の自由が保障されている日本では、この言葉の出番はない。ただ現下のコロナ騒動に関しては、大勢と異なる意見の持ち主は「面従腹背」するしかない。

 その一つが昼飲み。普通人がお酒を飲むのは、ひと仕事終えた夕方以降。それを政府、御用学者やマスコミはダメという。代わりに昼飲みが推奨されるが、人類の習慣に反することだからおいそれとは普及しない。そこで日々6万円なりの補償金を支給されることになったわけだ。普通に営業しても1日6万円の純益は得られない。寝ていれば濡れ手に粟なのだが、それではにらまれそうだから、昼間にチョコッと店を開けることで、経費を抑え込むのが賢い事業運営になってきた。休まない、けど働かない。それで儲かる不思議な世界である。

大地震から10年

 今日の昼飲みはひと組。30代で子育て全開中の女性たち。「昼間からビール飲むのは気が引けるなあ」で始まったが、すぐにワインになり、「ママも手持ち無沙汰みたいだからいっしょにどう?」と誘われた。

 女子会では(男子会でも?)議題への集中はあり得ない。あっちに飛び、こっちに戻りで、議事録的なものの再現は不可能。大雑把にまとめれば、前半の主題はやはりコロナ。子どもたちの学校や幼稚園閉鎖(昨年冬)への怨嗟で彼女たちの言い分は一致する。

 「子どもが家にいるので母親も休まなければならない。それに伴う企業負担を政府が肩代わりしたが、労働者の有給休暇賃金はもともと企業に負担義務がある。それを政府が肩代わりすることで労働基準法の土台を壊してしまった」

 「企業負担を政府が肩代わりするのなら、その対象は夫が休む場合に限ると制限すべきだった。女性の雇用を進める絶好の機会だったのに政府は考えもつかなかったみたい」

 「自営業者が委託業務を休んだ場合にも同額の支援がされるが、それができる財源があるなら、廃転業した自営業者に当座の失業給付をすべきなのよ」などなど。

 そして後半の話題は何といっても3月11日の東日本大震災。あれから10年の一区切りだが、国民の共通体験であり、あのとき何をしていたかは、誰もが語るべきことを抱えている。菜々子は3人に語りを促す役に徹することにした。

会社の床でごろ寝

 「10年前の私は一人暮らしだった」とA子さん。なにが原因だったか、親と衝突してワンルームマンションで一人暮らし。ボーイフレンドが別れる際に置いて行った子犬と暮らしていた。体調はすぐれず、会社には病欠や遅刻で叱られることが多かった。この先、どうなるのだろう。精神的にもうつ状態の日々だったという。

 そうした中で大地震に遭遇。会社は老朽ビルに所在しており、波間の船のように揺れたという。ようやく収まり、棚やロッカーから落ちた備品を片付ける暇もなく、全国支社やら取引相手との連絡網を再構築しなければならない。社長は歩ける距離の者は帰れと言ったけれど、A子さんの部屋は遠すぎた。夕食は同僚とカップラーメンを分け合っただけで空腹が募る。部屋に残してきた犬も心配。それでも睡魔には勝てず、床に新聞紙を敷いて寝た。翌朝、体の節々が痛む。着替えがないから、昨日のまま。どうしよう。復旧した携帯電話が鳴った。母親だった。

 「大丈夫? 無事だったらこちらに帰っておいで。あなたの部屋はそのままにしてあるから洋服だって何着かはある。犬が心配なの?じゃあこれから車で迎えに行くから、あなたのワンルームマンションに連れに行こう」

 「私、張り詰めていた気持ちが切れて泣いちゃった。何で親と喧嘩していたのだろう」

 A子さんは自宅に戻り、温和な人と結婚し、今は二児の母だ。地震が親との絆を結び直したという。そのときの子犬は老犬になり、親の家で我が物顔に振舞っている。A子さん夫婦が訪ねても、「お前よくやってくるなあ」程度に尻尾を振るだけ。飼い主の恩を忘れている。「親の恩を今はしっかり認識している私の方が偉いわ」。動物と競うことかなあ。

地震が結婚を決意させた

 B美さんは恋人との別れを考えていた。小説家になりたいと夢を追う者とでは家庭を築けない。最後の思い出としてディズニーランドに二人で行った。そこで地震に遭遇。緊急閉園になったが、電車は動いていない。いつもはB美さん任せの相手が決然と言う。「海岸近くは津波の恐れがあるから、とにかく北へ歩こう」。途中公衆電話があったから、B美さんは家に電話した。

 自宅マンションは室内メチャメチャ状態だったようだが、「車で迎えに行くからその場所から動かず、とどまっているように」と父親。渋滞の中、2時間後に遭遇することができた。その帰りの車中で彼と父親は意気投合した。B美さんは知らなかったが、父親も昔、作家志望で何度も仕事を辞めようとしたそうだ。「キミの人生だ。好きに生きたらいい。自分に稼ぎがある間は援助するし、投資用に持っているマンションに住んでいい」。

 その男性は地道な仕事を選び、B美さんと結婚した。生まれた子どもは小学校に上がる。そして夫に代わり、B美さんが月刊誌の契約ライターとして文筆活動をし、夫は文章の書き方についてアドバイスしている。

 「彼はサラリーマンを続け、私が作家みたいになっちゃった」

大きなお腹で右往左往

 C代さんは10年前、臨月の妊婦だった。運動不足解消のため、日課としていた運河のテラスを歩いていて地震に遭遇。水が跳ね、今にもテラスを洗い流しそうだ。C代さんは立っていられず、ベンチにしがみついて揺れが収まるのを待つ。その間に見た光景はスローモーション映画を見るようだったと言う。

 マンションの部屋に戻り着いたが、部屋の中では家具は倒壊、食器類は床に落ちて粉々。足を踏み入れることができない惨状。もしここで破水でもしたら、母子ともに命はないだろう。仕事中の夫とは連絡が取れない。心細さに呆然としているところにチャイムが鳴った。

 「大丈夫だったかい。当座の入用を持ってきた」と母親の姿があった。そしてC代さんの大きなお腹に手をやって、「この子はこの地震の後に生まれる。今日のことを語り継がなければならないよ」。その日の晩、C代さんは母親の父親、つまりC代さんの祖父が満洲引上げ者であったことを初めて知った。祖父はC代さんがまだ1歳の誕生日を迎える前に死んだ。その葬式が最初の出会いだから写真でしか知らない人である。

 祖父は満洲で何が起きたか、何百キロをどのようにして南下したかを娘である母親に伝えていた。母親はそれを封印していたが、地震を契機に娘に伝えることにしたようだ。祖父と同行していた大伯父夫婦の幼い娘は逃避行の中、栄養失調で死に、地中に埋めたが墓標を残すこともできなかった。祖父が生き延びてくれたから母が生まれ、私が生まれた。そしてその命がお腹の中にいる。地震なんかに負けてはだめだとC代さんは決意した。その子が小学3年になり、下にもう二人命を授かっている。

 「親から子へと命は続く。子孫を残すことに優る使命などないわ」 

(月刊『時評』2021年4月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。