2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
Tweetゆく年、くる年
2020年はコロナで明け暮れた。その最終営業日を思い起こしている。
「ボクは初詣には今回行かないよ。だって三密を避けよと都知事がよびかけている」
声の主はMさんで、医療関係のコンサルタント。病院建て替え案件が延期になったりして、夏場は事業を畳もうかと思い悩んでいた。秋口から少し持ち直し、久寿乃葉で食事する気持ちになったのだが、売り上げの回復にはまだまだだそうだ。
「コロナが何ですか。景気回復を願って、今回は賽銭箱に万円札を張り込みましょうよ」と積極参拝を主張するのは、部下で専務のIさん。
「神社は日本人の精神的支柱です。良きにつけ、悪しきにつけ、神社の境内に集まって加持祈祷してきた民族です。コロナごときの来襲で長年の習慣を変えるなど言語道断」と勇ましい。菜々子もこの意見に賛成だ。
例えば何十万人も集う京都の祇園祭。千百年の伝統を誇る豪壮かつ華麗な鉾行列の巡行を見ようと全国から数十万人が集う。その起源は疫病退散を祈願する大集会。貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったと伝えられている。
当時はウイルス感染の知識がなかったからだと一笑に付すのが科学的対応という風潮で、そうした声に仕切られているのが今日の日本の姿。三密を避けるために、集会はご法度。だが、そのお触れに従順に従ったけれど、コロナ蔓延を防止できていない。現代科学と胸を張っても、感染症コントロール一つ、できはしないのだ。平安時代の人は、集まって護摩を焚き、大声で「疫病退散」を唱えた。病原体を撒き散らしあったわけだ。現代科学の目で評価すれば、感染症蔓延助長行為である。感染が行き渡り、重症者が続出、死者が鴨川の河原を埋め尽くしたかもしれない。
だが祇園祭を禁止しようということにはならず、千百年後の今に伝わる伝統の祭りになっている。現代科学的に判定すれば、感染が一気に進むことで集団免疫が形成され、重症化の山を越えたということではないのか。
「ママの初詣先はどこですか。M社長を誘っていっしょに行きましょう。ママの誘いがあれば、社長は鼻の下を伸ばしてついて来ますから。コロナとママの魅力を秤にかければ、社長の選択は明らかです」
Iさんのこの発言は、Mさんがトイレで席を外している間のこと。
正月準備
「ママはおせち料理を作るのかい」。席に戻ったMさんが問いかける。
正月準備の買いものといえば、このあたりでは上野御徒町のアメヤ横丁。通称アメ横で、威勢のいい売り子の呼び声と値切り交渉する客の応答。周囲は押すな押すなの群衆。集団免疫獲得のチャンスでもある。
「女房が歳のせいか、台所仕事がおっくうになってきていますから、今回はできあいのおせちセットの宅配を注文しようかと思っているのです」
「できあいのおせちはどうですかね。高いだけですよ。昔とちがって、年末、年始にもお店は開いているから、わが家では作り置きも、買い置きもしません」とIさん。Mさんは「キミに尋ねているのではない」と舌打ち。
初詣では人込みを怖れる菜々子ではないが、アメ横にまでおせちの材料を仕込みに行く気力はない。だって作っても一人分なのだから、アメ横まで出張ろうが、近在のスーパーだろうが、大きな差ではないのだ。それともう一つ、別の理由がある。
「ジャーン」と束になった商品券を二人に見せた。これで正月準備をするつもりだ。
年末大掃除
新しい歳は新鮮な気持ちで迎えたい。菜々子の場合は、不要なものをバサッと思い切りよく捨てること。独り者だから、死後に何も残さないのが理想形。断捨離と称して、ことあるごとに所有物の整理を心がけている。その際の秘訣は雑念を持たないこと。
「整理のプロと称する女性がテレビに言っていましたよ。“ときめくかどうか”がポイントで、どんなに経済価値あるものでも、手に取って“ときめき”を感じなければ捨てるのですよね」とIさん。
はずれではないが、菜々子の場合はもっと大雑把。この辺りを整理すると決めたら、基本的に全部捨てる。一つ一つ手にして“ときめき度”の測定などはしない。全部まとめてドサッ。その過程で、どうしても残しておかないといけないものは、モノの方から呼びかけてくる。「捨てると後であんたが困るよー」と。
「ママはもっと几帳面な人だと思っていたが、意外だな」とMさん。菜々子の調理の手際などを見ていれば、材料は手づかみ、調味料は目分量。几帳面とはほどほど遠いことを見て取れそうだが、「熟達して体が覚えているのだと思っていた」のだそうで、想定外の高い評価ににんまり。
商品券が出てきた
そろそろ商品券の種明かしをしなければなるまい。日々届く郵便物のうち重要性が低いと判断されたものは机の上に積んでおく。休みの日にまとめて開封して処理するつもりなのだが、たいがい忘れてしまう。そうして郵便物は山を成す。下の方は何があったか、もはやひっくり返して確認することもない。そうして年末に至る。
この日の昼間、50センチほどの高さになっていた未開封郵便物の山を処理した。一定の大きさ以上のものを紐でくくって資源ごみ。それ以下の大きさのものはポリ袋に放り込んで可燃ごみ。その作業中、「簡易書留」と朱書された封筒が床に転がった。なぜか気になり、手に取ると「親展」に続けて「ゼロエミ」などとある。ゼロエミッションの略だとは分かるが、菜々子は二酸化炭素を温暖化の原因とする説には懐疑的な立場。その思想信条がばれて、お叱りのお手紙? まさか? 個人思想の情報管理が、わが国でそこまで行き着いていると思えない。
意を決し開封して、びっくり仰天した。どっさりの商品券が入っているではないか。なにかの抽選に当たったか、それとも新手の詐欺ビジネスの撒き餌か。しばらく思案して、夏前に冷蔵庫を買い替えたことを思い出した。
ゼロエミッション補助金
30年近く使っていた冷蔵庫。製氷機能を除き、メイン機能に故障はなかった。単にコロナでもらった特別定額給付金の使い道という衝動買い。その際、電機店から書類を渡され、書き込んだ記憶がある。それっきり忘れていたのだが、暑くなる前の時期だったと記憶する。
その申請が通り、ゼロエミッション促進ポイントが付与され、商品券に形を変えて送られてきていたのだろう。
「気づかなかったら、せっかくの補助金をもらい損ねるところだったですね」。Iさんは、これを軍資金に3人でカラオケに繰り出そうと提案。「悪銭は身につかず。パーッと思い切りよく使うに限ります」。ここはコロナ感染リスクに慎重なMさんが制止してくれた。
それに菜々子はすでに使い道を決めているのだ。今年こそ、ちょっと豪華なおせち料理を買って、家で食べるのだ。菜々子が決めた商品券の使い道。
「商品券で配らなくても、お店で買うときに値引きすれば簡単ではないのかね」とMさん。
その点は同意できる。商品券配布のための作業量をカウントしてみた。①電機店が顧客に説明し、②顧客が申請書類を作成し、③東京都の下部機関と思しき東京ゼロエミポイント事務局が人員を雇用して審査をする。その間、関係者間での電話協議や郵便配送。それら作業を時給換算すると、交付商品券金額に匹敵することにならないのだろうか。
国民性への理解が足りない
「省エネ家電への買い替えは重要だろうが、お役所が公費で釣る必要があるのだろうか」
Mさんが指摘したのは日本人の国民性。「目先の損得に走る人種に決まっていると見下していませんかね。むしろ家電の省エネ技術が進んでおり、新型機器に買い替えることが望まれる。余裕のある人は買い替えてくださいと呼びかけにとどめたほうが、日本人は協力しますよ。そして無駄な財政支出は要りません」
たしかにそうだ。菜々子の場合も、ゼロエミ商品券を知ったのは支払いを済ませた後のことだった。それで「得した」と思ったことは認めるが、商品券がなければ買い替えなかったわけではない。
「そうだよね。実際にママは今日の昼間まで忘れていたくらいだ。そのままだったら商品券は使用されず、東京都の財政は少しだけ助かったかもしれない」
「そういえば、自宅のエアコンの運転音がうるさいから取り換えようかと先日、言っていなかったかな」とMさん。
そうだった。近所の電気工事店でエアコン交換をやってもらったのだった。機器選定から購入を含めたいっさいを一任したのだが、その際ゼロエミポイントの話はいっさい出なかった。菜々子もうっかりだが、彼の方もビル新設工事でのエアコン設置がメインだから、この補助金の存在自体を知らなかったのだ。制度を知っている者だけが受け取る補助金で政策効果は上がるのだろうか。
(月刊『時評』2021年3月号掲載)