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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第197夜】

不器用男の介護離職

写真ACより
写真ACより

 私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
 世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

女性の一見さま
 「こんばんは」の声とともに背筋のシャキッとした女性が現れた。女性が一人で、しかも予約なしで現れるのは久寿乃葉では珍しい。店内を見まわし、先客がいないのを確認してから、カウンター越しの菜々子の真ん前の席に腰を下ろした。

「ママの着物姿、Jさんから聞いていたとおりだわ」のお世辞に続いて、「彼が駅の改札に現れないので、直接来ちゃいました。私、Iと申します」

 女性一人客の来店の経緯は分かったけれど、Jさんとはいったいだれ? 疑問詞を口にしようか迷ったところに電話の呼び出し音。Jと名乗った。

「お連れさまが到着されていますよ」

 数分後、息を切らせて久寿乃葉名物の急階段を登ってきた顔に見覚えがある。

「駅に着くのが遅れてしまって。まさか先にお店に行くとは思わなかったから。なにせ見つかりにくいところだし…」

「目立たないお店で悪かったわね」と啖呵を切りたいのをぐっと抑え、「あなた、いったい何年ぶりよ。10年以上は来てないでしょう」

 前触れなく顔を見せなくなったきり。それが突然の再登場である。


身の上話を傾聴する
 Jさんは遅刻の理由を説明しようとしている。でもそれでは「なぜその場で待っていなかったか」とIさんを責めることに通じる。それに気づかないのだろうか。ここは店主の権限で割って入ることにした。

「それよりも長らくお沙汰がなかった理由の方を聞きたい」

「それは私も聞きたいことだわ。Jさんに会うのは、ほぼ20年ぶりだもの」

 久寿乃葉への不義理は罪ではないが、デートに20年の中断期間があるのは尋常ではない。「その間のできごとを一気に吐き出せ」とばかりに、丸まったおしぼりをマイク代わりに口元に突き出した。

 大学卒業後、商社の中近東プロジェクトに従事して石油精製プラントなどで奔走し、イラン革命では命からがら隣国イラクに脱出した…。若かりし日のJさんの活躍ぶり。履歴を飾るエピソードではあるが、前置きにしては長すぎる。「そのお話に、私はいつ登場するのしら」。Iさんもいらだっている。

「正確に伝えるためです」。Jさんのストーリーはようやく20年前に移った。大学のクラブでの先輩から、自分が興した会社を手伝ってほしいと声をかけられた。海外プラント事業で蓄えもできていたし、家庭を築きたいと強く意識するようになっていたから、渡りに船と引き受けた。ここで少林寺拳法入部の由来や先輩との交友に及びそうになったのだが、Iさんと二人がかりで、脱線させずに軌道に戻すのに時間を要したことだけ記しておこう。

 久寿乃葉の常連であったその先輩社長のお供でJさんは来店した。やがて一人でも現れるようになった。彼の砂漠のゴルフの実演などで店内が笑いの渦になったこともあったなあ。菜々子の記憶の糸がつながってきた。あるときJさんが、「ママに紹介したい女性と一緒に行きます」弾んだ声で席を予約した。だが、約束の日にJさんは現れず、それっきり顔を見せなくなったのだ。

 「私も思い出したことがある」とIさん。「富岡八幡宮を二人でお参りした帰り道、Jさんが二階を指さして『ここで夕食にしよう』と言ったのよ。それがきっとこの久寿乃葉だったのだわ。ところがJさんのポケットベルが鳴り出してデートは打ち切りになった。そしてそれっきり、Jさんとは連絡がつかなくなった。会社に電話しても『退社されました』と取り合ってもらえない。私は捨てられた…と諦めるまでどれだけ涙を流したか」

 Jさんは肩をすくめ、少し時点を戻して話を続けた。栃木県内に本社を置く先輩の会社で地位を得たJさんは、開発間もない新興住宅地に二世帯用の家を建て、大学まで行かせてくれた両親を呼び寄せた。残るはIさんを伴侶に得て、子どもを授かること。Jさんの人生すごろくの夢が広がった。だが、好事魔多し。20年前にこの久寿乃葉の玄関前で受けた一本の緊急連絡で壊れた。


長寿社会での介護の心構え
 Jさんの身に何が起きた?「それこそ私の知りたいことだわ」とIさんは身を乗り出す。菜々子もJさんの顔を正面から見据えた。

 転居前から母親に認知症が出始めていて、父親が介助していたのだが、その父親が脳梗塞で倒れたとの緊急連絡だったのだという。Jさんには青天の霹靂。転居間もないこの地では、親戚はおらず、地縁はできてない。認知症が進む母親に、半身不随の父親。多忙を極める会社の仕事と家庭での両親の介護。体が二つあればとどれだけ願ったことかとJさん。だが、ここが菜々子には解せないポイントだ。Iさんも首をひねっている。

 Jさんは自分流に解説を続けている。「家政婦さんに交代で来てもらい、自分が出張しなければならないときは泊まってもらうことになります。その費用を稼ぐためには会社の仕事の手を抜くことはできず、母親はどうしてお前がずっと家にいないのかと言い、父親は他人に身の回りのことをしてもらうのを嫌います。いったいどうしたらいいものか、肉体的にも精神的にも辛かったです」

 こういう話は聞いている方がより辛い。

 「どちらかに施設に入ってもらうしかないじゃないの。ちょうど介護保険が制度化された頃でしょう。お母さんにホームに入ってもらい、お父さんには訪問介護を利用する。そうすれば経済負担はわずかで済むはずよ。社長が先輩なのだから気兼ねせずに、仕事の方も無理しないようにセーブして、休みの日にはお父さんを連れてホームのお母さんを訪ねる。たまには一時外出で自宅に連れて帰るとか。親の介護はだれもが通過する道よ」。

 菜々子は遠距離母親介護の経験を話した。平日はお店があるから休めない。そこは姉たちに委ね、菜々子は週末の介護を担当することにした。姉たちは家庭があるから週末は自分の家族を優先しなければならない。その点独身の菜々子の週末はフリー。友人とのお付き合いや旅行の方をお休みにして、土曜の朝から月曜の午前中まで、二泊三日の泊まり込み介護に当てた。鹿児島県の南端まで片道4時間かけての往復は、肉体的、経済的にもきつかったが、永久に続くわけではない。

 余計なことだったと思うが、菜々子が言いたかったのは、親の介護に決まった方程式などはない。自分の暮らしと両立する範囲で最善のことをすればよいのだ。後になってああしておけばよかったと後悔しないこと。あの世で親に再会することがあったら、「お前、よくしてくれたねえ」と言ってもらえること。要するに介護は世間体ではない。自分の心との折り合いなのだ。


介護離職を決断
 仕事と介護の板挟みで苦悩するJさんにとって、さらなる試練が訪れた。Jさんの活躍もいささか貢献したのだろうが、会社の業容はどんどん大きくなる。ある日社長から告げられた。

「ボクは海外の方を中心に指揮を執るから、Jクンには国内采配を頼みたい。キミが親御さんの介護でたいへんなのは承知している。キミには副社長の肩書をつけるから、これからは現場に無理して出ることはない。幸い子飼いの人材も育ってきているから、キミはデスクに座って、あるいは自宅から携帯電話やメールで指示すればよい。ボクとキミとの関係だ。一つよろしく頼む」

 菜々子だったら二つ返事で引き受ける。社長が介護の事情を承知しているのだから、社員だって副社長の時間割り振りに気を配るはずだ。

 ところがJさんの行動は予想に反するものだった。

「親の介護という私的な事情を会社の仕事に持ち込むことはできない。会社の幹部になるということは24時間を仕事に捧げることです。それでボクは会社に辞表を出しました」。

「社長は認めてくれたの?」と菜々子。「呆れていましたが、『キミらしいと言うほかないな』と。顧問の肩書と報酬を提供してくれて『体が楽になった時点で復職してくれればいいよ、ポストはまた用意するから』となりました」

 その両親が長患いの果てに相次いで亡くなった。その後始末を終え、Jさんは会社に復帰した。


覆水盆に返らず
 ここでJさんはIさんに向き直り、「今も独身のようですね。もしよかったら、お付き合いを復活させてほしいのです」

 これではダメだ。菜々子はJさんの口を押えようとしたが、間に合わなかった。Iさんの強烈な平手打ちが見舞われ、Jさんのメガネが吹き飛んだ。

「私を見損なわないでよ。結婚したいってことでしょうが、あなたは夫婦ってものを分かっていない。ともに苦労して人生を渡るから、その先に共白髪のゆったりした暮らしがあるのよ。ご両親の介護で辛いと思ったのなら、どうしてそれを私に半分担わせてくれなかったのよ。そうしてくれたらお互いに共通の思い出が増えていた」

 まったくだ。男は「キミに苦労をかけない」と言うけれど、女房は床の間の掛け軸ではないのだ。

 案の定、「なんだかバカにされたみたい。自分の勘定を払って帰ります。二度と連絡は不要ですから」。Iさんは帰ってしまった。

 「ボクが話の順番を間違えたのだろうか。なんとか取り持ってほしい」。Jさんに懇願されたが、菜々子の恋のキューピット役も当人の自覚次第で、いつも有効とは限らない。

(月刊『時評』2020年4月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。