2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
政治家の価値とは
安倍首相の在任期間が、“悪夢の民主党政権”の前後を通算して、わが国の憲政史上最長になった。国難の日露戦争を勝利に導いた桂太郎総理の2886日、敗戦後アメリカ占領下にあった沖縄返還交渉をまとめ上げた佐藤栄作氏の2798日、明治の元勲で立憲政治の礎を築き初代総理を勤めた伊藤博文氏の2720日の歴代3傑を抜きさっての大記録である。
ではあるのだが、このまま安倍総理が引退したとして、国民の胸中に残る彼の功績は何だろう。昨年暮れ、経済、外交、国民生活…、安倍総理の業績評価が飛び交う久寿乃葉で、「落第点」と断定した出版社経営のJさん。年明けに来店した際、相客が到着するまでの間に真意を問いただした。
「ボクは熱心な安倍ファンだった」と前置きしたJさん。昨年10月の消費税引上げを機に、この人には信念も政治センスもないと確信したという。
「消費税を引き上げれば国内需要が落ち込むことは目に見えています。8%引上げ時に懲りたから、10%への再引上げを延ばし続けたのではありませんか。そのまま凍結を続けていればよかった。しかるに自身の〝公約〟を卒然と翻した。国民への裏切りです。済まないと詫びて退陣するのが一つの道。続投するなら政策変更の必要性を誠心誠意、語らなければなりません。デフレ脱却路線と消費増税がどうして整合するのでしょうか」
財政再建を国民は望んている
菜々子はしがない飲み屋の女将。経済理論については人並み以下。難しい理屈は分からない。ただ生活に直結する税制の変更については、変更理由を承知しておきたい。そもそも消費税をなぜ引き上げるのか。
A説は日本の破局的な国家財政を救うには増税による国家歳入の増加が必要という。B説は少子高齢化で保育所整備にも高齢者介護にも国家支援の必要度が高まるから、それに充てる財源確保策という。この二つ、似たようなことを言っているようで、方向性はまるで逆だ。
前者に軸足を置けば、歳入増に加えて歳出も減らすことになるはずから、社会保障給付の問答無用的な大胆切り込み、見直しを並行させるのが真っ当な財政政策。後者の視点では、消費税の2%アップ程度では社会保障の当然増に加えて新規給付分を賄うのは到底不可能で、巨額の赤字国債の発行継続を続けざるを得ず、先行きの財政破綻を避けられない。
ただしここで一つの妙案があった。政府の何らかの方策によって、わが国の経済がにわかに活気を取り戻し、諸外国を上回る高度経済成長路線に転ずることだ。経済成長によって国民や企業が豊かになれば税収は勝手に拡大し、赤字国債発行減らしと新規社会保障施策の双方を同時実現できる。安倍総理は就任当初、そう主張していたはずだ。しかし異次元の金融超緩和、毎年度の巨大財政出動にもかかわらず、デフレは解消せず、国民の所得は伸びず、財政は毀損した。結果は明らかだ。安倍総理の経済政策は失敗である。
多子者は報われているか
先行きが明るくなければ、国民は子どもを産まない。年間出生数が90万人を割り込み、ベビーブーム期の3分の1。記録を取り始めた戦前に遡ってもこれほどの少出産数は記録にない。そうした中「暮れに5人目が生まれまして」のJさんは表彰もの。社会的視点に立てば、菜々子を含む子なし族の分までカバーしている。「私に子がいたら人生変わっていただろうか」。自問した時期もあったが、今となっては遅い。法的には里子や養子縁組の方法があるが、自ら子育てするには体力的に無理である。
「子どもが多いと楽な面もある。子育てが面倒くさいという人に伝えたい」とJさん。歳が離れた上の子が幼い子の面倒をよく見てくれるとか。ただ経済的には厳しい。多子世帯には保育サービスが不可欠だが、その費用捻出が苦労で、奥さんに加えて同居の父親も働いている。ところがその父親の厚生年金は“在職規制制度”で全面カット。
「子を作る、作らないは個人の選択事項。子が多いことをひけらかす気はありませんが、社会は次世代がいてこそ成り立ちます。『子育てを社会連帯で』と言うのであれば、子育て家庭が余分に負担する経費の一部を、子なし世帯が連帯負担する制度を作るべきでしょう」とJさん。簡単な仕組みとしては提案したのは、年金保険に、「老齢・遺族・障害」と並ぶ「児童年金」を用意し、財源面では子育て未経験者の保険料率を割り増しにする仕組み。
「子を産まない人たちがすんなり払うかしら」。菜々子の問いに対するJさんの回答は、「老親の扶養費用を連帯負担するのが年金保険。自分の保険料を、子どもを産み育てなかった老人への給付財源に回して欲しい者はいません。『そこを何とか頼む』というのが子なし老人の願いでしょう。『子育ては忌避するが、年金は国家責任として支給せよ』。日本国民はそうしたエゴ者の集まりではないはずです。安倍総理も子なし族。子なし税導入を国民に説く適役のはず」。「割増保険料に賛成」、菜々子は思わず拍手していた。
国益を損なう外交をしていないか
「安倍さんの功績は外交面にあると評価する人もいるわよ」と話題を変えた。Jさんは「地球儀を俯瞰する外交との言葉とは裏腹に、国益面でどうでしょう。むしろ損なっていないでしょうか」と、現時点でのプラス評価に否定的。
「中国との関係は完全に正常化したと言いますが、尖閣諸島への侵略はますます深刻です。東シナ海のガス田はどうなりました。何よりも香港の民主派弾圧やウイグル人・チベット人・モンゴル人への絶滅・同化強制について欧米諸国が口をそろえて非難する中で、こともあろうに人権抑圧の頭目を国賓として招こうとするのでは、日本も同類の反人権国家であると世界中に宣言するようなものです」
「韓国には、いわゆる“従軍慰安婦”、“徴用工”など、史実に反するでたらめ要求を突きつけられて、本気で反論していません。戦時中の日本人売春婦や徴用工は放置して当然だが、相手が韓国人、朝鮮人であれば“謝罪し賠償する〟という奇怪さです。歴史に学べば、自虐国家は滅びます。この点の不勉強は日本の政治家全員に共通しますがね…」
このほか対ロシア、対北朝鮮…。Jさんは指を折りつつ事例を挙げて、安倍外交を指弾した。「安倍さんが自身の外交成果を針小棒大に言い募る点は問題ありとしても、それ以前の何も主張せず、言いがかりをつけられればカネを出すことでその場を繕おうとした歴代政権に比べればマシなのではないでしょうか」。自国の総理を守護する立場で菜々子。
「それは逆です」。Jさんは菜々子の鼻先で右手の人差し指を左右に振った。
「世界中の国々から――そこには同盟国と頼むアメリカも含まれます――安倍総理は日本人の中では特異な強硬路線人物とレッテル貼りされています。日本人の総意に対する由々しい誤解であり、これを覆すことが日本外交の基軸であるべきです。安倍さんは当然すぎることを遠慮がちに述べているだけです。そこにはハッタリや駆け引きなど外交技術のかけらもありませんし、日本国民の怒りを相手に理解させる工夫もありません。肝腎なのは『彼が日本ではむしろ融和的な人物である』と相手に理解させなければ、外交交渉が成り立たないことです。『日本国民は軟弱』と誤解されたままでは、相手国から『安倍氏の主張は日本国内では浮き上がっているから、割り引いて対応すればよい』となるだけです」。
韓国の文大統領の言動から、それが如実に伺われるというのがJさんの分析だ。
真の大宰相であれば…
目をアメリカに転じようとJさん。中国共産党政権の人権侵害や周辺諸国への恫喝は今に始まったことではない。欧米諸国を含む民主主義陣営は見て見ぬふりをしてきた。北朝鮮の核ミサイル開発も同様だ。ロシアのウクライナ東部等への併合拡大路線にも、西側諸国は口だけで行動しなかった。例えばオバマ大統領。自ら望んでノーベル平和賞を得たのかどうかは定かではないが、彼が大統領である限り、アメリカが積極行動に出ないであろうと極悪独裁者たちから読み切られていた。当のアメリカ国民も同調していた。この認識が一般化してしまっては、大統領一人では身動きできない。
これに対して今のトランプ大統領下では違う。何をするかわからない予測不可能な人物として独裁者たちは大いに警戒せざるを得ない。何かの拍子に全面対決、先制攻撃するかもしれない。それはかなわないから、現実受入れ的な妥協的人物に代わってほしいと願ったことだろう。弾劾騒ぎもその一連とみなしていいかもしれない。
ところがトランプ大統領がツイッターで強硬主張と軟弱発言を脈絡なし風に繰り返しているうちに、アメリカ国内の機運が、気づいたら対中、対ロ、対北朝鮮対決姿勢に明瞭に転じていた。下院で大統領弾劾が決議され、上院で審査されることになった。この件で共和、民主両党の支持者間での相互不信が高まり、国家分断の危機にあると日本のマスコミは論じるが、分析が薄い。独裁国家の人権侵害等に対しては許容しないという点で、結果的に国内世論が一致したことが重要なのだ。つまり次期大統領がトランプ氏の継続になるか、別の誰かになろうが、中ロ融和路線への変更はありえない。
日本に置き換えてみよう。対中、対韓、対ロ、対北朝鮮…での安倍政権の主張は、日本では最も緩い部類であるという認識――安倍氏に代わる政権が誕生すれば、より強硬になることはあってもその逆はありえない――を国際社会にも、同時に日本国民にも持たせることができれば、外交は進むことになる。
ただしこれは総理が演説すればそうなるというものではない。言わず、語らずとも、近縁部から周辺部に向かって徐々に国民の認識を望ましい方向に変えていく。それが政治家の真の力量である。政治家の価値は、後世のみが評価できる。現時点で功績など論じられない。Jさんが言いたいことはこういうことらしい。
(月刊『時評』2020年2月号掲載)