2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
いつもは剛毅な社長が悄然
最後のお客様が引上げ、後片付けをして帰るだけ。時計は10時を回っている。今日の売上は上々だったが、その分疲れも大きい。よく働いた自分へのご褒美としてビールを一杯だけ飲もう。栓を抜き、グラスに注ぎ、いただきますと口をつけんとした瞬間にお店の電話が鳴り出した。
「よかった。まだいたのだね。今、駅に着いたところ。2分で行くから相談に乗ってよ」
声の主はMさん。駅から住まいへの帰り道に久寿乃葉がある。「駅まで帰り着いたのだからそのまま帰宅した方が明日のためよ」。
菜々子の忠告は聞き入れられず、ほどなく階段をドタドタ上がってきて、カウンター席の椅子に座りこむなり、ため息をつく。
「女房の一族が相続でもめて、女房からは『あなたがまじめに取り組まなかったせいだ』と責められた」
小規模だがコンサルタント会社を運営し、ふだん弱気を見せることがないMさん。菜々子相手に愚痴るなんて初めてのことだ。憔悴気味の肩を叩き、「私、菜々子が聞いてあげるから心のうちを吐き出しなさい」と母性本能全開の笑顔を作った。
奥さんの実家の相続騒ぎ
Mさんの奥さん(便宜上B子さんとする)の実家はUという吉備地方では名の知られた家柄だと聞いたことがある。系図でも400年以上遡れるそうだ。
ただB子さんの代は三姉妹で男児に恵まれなかった。B子さんは次女。長女、三女が先に嫁に行ってしまっていた関係で、MさんがB子さんとの結婚の承諾を得に実家を訪ねた際、父親から散々お酒を飲まされた後で「キミは三男だそうだね。先のことでいいのだが、形式だけU家の婿になることを頭の隅に置いてくれないか」と懇願され、「はあ、ご親戚の皆さんがよろしいのでしたら…」と答えた記憶がかすかにあるという。もっとも今回の紛議が起きるまでは、それがいかに重大なことであるかに思いを致すこともなかった。
その父親は10年前にポックリ逝ってしまった。遺言もなかったのだが、その時点ではとりあえず母親が家屋敷その他の財産を一切合切引き継ぐことで特段もめることはなかった。その後母親に認知症の症状が出始め、実家近くに居を構えている三女であるC子さん夫婦が生活の世話をすることになった。しかしそれでは申し訳ないからと、B子さんも月に一度は東京から実家に顔を出し、また長女A子さんも大阪の婚家から頻繁に通ったから、親孝行の三姉妹でU家は幸せなことだと地域で評判が立っていると、母親が嬉しそうに娘たちに話して聞かせるのだと、MさんはB子さんから報告を受けていた。
その母親が先月死亡した。その葬儀で、喪主をだれが勤めるかで紛糾が始まった。だれもが遠慮しているのだと思ったMさんが、「三人姉妹のどなたも引き受けないのであれば、不肖ボクでよければ挨拶くらいは」と申し出て、B子さんとの結婚を承諾してもらう際での父親からの婿入り要請の一件を披露した。
だがこれがその場のムードを険悪なものに変えるきっかけになったという。まず長女のA子さんが「Mさんはなにを言い出すのですか。跡継ぎは既に決まっているのですよ。私の息子のD男が5年前に母と養子縁組をしています。正式に戸籍の手続きを済ませています。今さらあなたに婿養子になっていただかなくても、U家の名前は安泰なのよ。私たち三姉妹はいずれも苗字が違うけれど、養子になったD男はUを名乗っているから、喪主として最適だわ。話はこれでおしまい」
ところが三女のC子さんが異議を唱えた。
「ちょっと待ってよ。A子姉さんのところのD男クンを母の養子にする件は事前に聞いていないわ。彼は定職に就かず、親戚中から借金があるとも聞くわよ。U家の後継ぎとして頼りない。家名に傷をつけるおそれだって大いにあるわ。お父さんが生前にMさんに婿養子の話を持ちかけていたことを私はお父さんから聞いていた。それは三姉妹がそろっていたときだったからA子姉さんも当然知っている。私はD男の養子縁組を承諾しない」
家、財産の承継が絡むと…
仲がいいことで評判だった姉妹が激しく言い争い始めた。喪主が決まらなければ葬儀の段取りをだれに取り仕切ってもらえばいいのか。葬儀業者はおろおろ、お手伝いに集まった近所の人たちもそわそわ、親戚の人たちは別室に集まってひそひそ。騒ぎの火をつけた格好のMさんは気が気でない。
「ボクが出しゃばったことを言い出したようです。A子姉さんも、C子さんも落ち着きましょう。D男クンの養子縁組の件は、お義母さんに認知症があったこともあり、後日、姉妹の皆さんで話し合うことにして、とりあえず喪主は長女であるA子姉さんにお願いすることではいかがでしょうか」
だが「そうは行きません」とA子さん。「C子はうちのD男が定職に就いていないとか、親戚に借金があるとかと息子の人格に関わることを言った。聞き捨てならない。まず謝罪してもらうことが先決。大学院で勉強しているのだから定職に就いていないのが当たり前でしょう。借金にしても借りている先はC子の息子のEクンからだけでしょう。いっしょに遊ぶおカネを彼が出してくれて、『オレと違ってD男は頭がいいのだから、しっかり勉強して博士号を取れよな』と激励してくれたと聞いたわよ。母親は何を聞いているのかしらね」と喧嘩を売ったからたまらない。
「いくら姉さんでも言っていいことと、いけないことがある。E男を呼び出し、怪しげなところに連れて行き、半ば脅すように代金をE男に払わせたそうじゃないの。だいたい三十歳近くまで大学に籍を置いているのがおかしいわ。本当に勉強しているのかどうだか。それに家名を継ぐためだったら、私たちに内緒でこそこそ手続きする必要はない。D男を母の養子にすれば、相続人が4人になる。A子姉さんの実質取り分を増やそうという魂胆なのでしょう」
険悪になる様相にMさんは生きた心地もしない。B子さんがこの場に入ればとりなしてくれるのだろうが、「私はいったん喪服を取りに家に帰るので、今晩はあなたが代わりに仕切ってね」と言いつかっているのだ。それがこの愁嘆場である。
「C子が言いたいのはそれだけ」とA子さん。
「あんたが近所に住んでいて母の介護を引き受けてくれたのを善意と誤解していた私が愚かだった。先般市役所の人から聞いたのだけど、実家にあった先祖伝来の武具刀剣類のいっさいをご亭主が市の美術館に寄贈したそうじゃないの。どうして勝手にそんなことをするのよ。あんたは母の成年後見人でもなんでもないのよ。ただの介護者。財産や家宝を勝手に処分する権限なんてないのだから」
A子さんはその武具刀剣類を時価にすれば1億円を下るまいから、場合によっては遺族を代表して損害賠償請求をするやも知れぬと言い出し、C子さんは美術館を飾る歴史的価値にとどめ、寄贈して地域の歴史研究の役立てるのがご先祖への供養である。すぐにカネ換算をするのがA子さんの悪癖であり、その血を受け継ぐD男がU家の後継ぎになれば、U家の命運も定まったも同然と言い放ち、「私は母さんの遺産は一銭も受け取らない。同時に葬儀にも参列しない」と宣言して帰り支度を始めた。
相続が争族になってはたいへん
映画の一シーンのようなやり取りである。映画であればここでカット、後は鑑賞者の想像に任せることもできようが、実話ではどうなったのか。Mさんに質してみる。
「姉妹が今にも取っ組み合いをしかねない勢いです。ボクにできることといったらB子に電話するくらい。別室で逃げ、震えながら助けを請いましたよ」とMさん。
「あなたってほんとうに調整能力なしね」と散々いたぶられた挙句、「ひとまず休憩にして順にお風呂をいただきましょう」と、B子さんに授けられたセリフを並べたという。
そしてA子さんの入浴中にC子さんに、C子さんの入浴中にA子さんにと、B子さんが電話で長々と話し合ったのだという。その結果、最後にMさんがお風呂から出てきた時点では、姉妹は笑いながらビールを仲良く飲んでいたのだという。さっきまでの喧嘩はどうなった。狐につままれた思いのMさんだが、今さら話を戻す勇気はない。
騒動が一転、場が和やかになったので、葬儀社、町内会、親戚の人も加わって葬儀の段取りの相談が再開された。そしてもめごとの焦点であった喪主はすんなりA子さんの息子であるD男が養子として勤めることになった。そしてD男の挨拶の中で、C子さんの献身的な介護について触れることが約束された。これで解決するなら、あの言い合いは必要なかったではないか。
帰りに新幹線車内からB子さんに調整内容を確認した。B子さんが言うには、Mさんが婿養子の件を持ち出したのがいけないのであって、姉妹はもともと騒ぎにする気はなかった。C子さんの夫が武具刀剣類を市に寄付した点についてだが、A子さんの本音は、実家の建物ごと寄付してくれた方がよかったというもの。「だってあんな大きな家の管理なんてD男には無理よ。まとめて寄付して市長から一族の全員宛の感謝状をいただければ、ご先祖様も納得するはずだわ」。
B子さんは「Mには反省のしるしとして頭を丸めさせることでA子姉さんもC子も納得してくれたから、あなた明日の朝一番で理髪店に行くのよ」と告げて電話を切った。
「ボクはほんとうに頭を剃らなければならないのだろうか」
それが相談事?奥方の姉妹関係が壊れずに済んだのだから、その程度のことで悩むことはないでしょう。頭髪はいずれ生えてくるのだし。
(月刊『時評』2020年1月号掲載)