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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第192夜】

憲法の平和主義について

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

憲法の平和主義
 社交では“宗教”や“政治”の話題はタブーとされる。信仰や主義の議論は、往々にして「なあなあ」や「まあまあ」では収まらなくなるからだ。お酒の勢いとも相まって、双方が拳を振り上げ、刃傷沙汰になる可能性もゼロではない。警察が駆け付けて当事者を拘束、場所の提供者として菜々子も事情聴取といった事態に陥ったら最悪だ。
 お酒を勧めつつ(久寿乃葉の売上増につながる)、話題が危ない方向に行かないように適宜交通整理してリスクを回避する。居酒屋の女将家業はそれなりに精神労働なのだ。
 カウンター席にはOさんとJさん。それぞれ久寿乃葉の常連なのだが、今日は連れ立ってやってきた。クラス会に参加したが、二次会でカラオケに行くという仲間と別れてこちらに来たという。マイクを持たせたら離さないほどの歌好きの二人なのにどういうことだ。よくない予兆を感じる。
 飲み直しのビールグラスを置き、「女将さん、日本国憲法の三大特色を言えますか」とJさん。
「国民主権と基本的人権。それにえーっと、平和主義だったかしら」と応じたものの、危険シグナルが脳内で鳴り響き始めた。
「そのとおりです。あらゆる戦争の放棄に加えて、いっさいの戦力不保持。何があっても戦争はしない。仕掛けられても戦わない。これがわが日本国憲法が規定する絶対平和主義です。この崇高な精神を諸外国に広めるのが、世界で唯一原子爆弾の洗礼を受け、平和の尊さを実感した日本国民の責務です。この理想を貫くには、日本国民が一人も欠けることなく、世界中の人々に働きかけ続けなければなりません。しかるにここにいるOクンは、『戦争放棄は非現実的である』などと背信的なことを言うのです。敗戦後の焼け跡の中で今の憲法を総意で制定した当時の国民を愚弄しています」

現憲法制定の経緯
「もっと楽しい話にしましょうね。ラグビーのワールドカップとか、ゴルフの渋野日向子さんとか…」と転じようとしたのだが、「言われっぱなしでは沽券にかかわる」とOさん。
「Jクンの主張は間違っている」として、指を折りつつ挙げた理由を要約する。
 マッカーサーの占領軍司令部は、日本政府の改正案を却下し、自分たちが作った草案を押し付けたというのが史実。よって日本国民の総意とは程遠い。当時の占領軍の意図は、日本が連合国(特にアメリカ)に盾突けないようにすることにあり、それは日本の復讐戦を恐れるスターリンなどの意にも沿うものであった。しかし軍備を持たなければ周辺国に脅されるままだ。まともな精神状態の国民がそんな判断をするわけがない。そこでGHQは検閲と情報統制によって、日本国民による自主憲法であるとの欺瞞をねつ造した。
「仮に草案が占領軍の手によるものであったとしても」とJさんが反論する。「政府が国会に提案し、当時の議会で圧倒的に支持されて可決された。当時の大日本国憲法が定める改正手続きを経て、今の日本国憲法に改められた経緯を認めなければならない」
 日本国憲法が国会で議論されたのは敗戦直後の昭和21年の夏。衆議院は昭和20年12月の改正選挙法に基づいて全議員が改選されていたが、参議院の前身である貴族院はまだ存在していた。その貴族院でもほぼ全会一致で可決されている。さらに戦前の体制擁護の根幹ともいうべき枢密院も新憲法案を支持している。連合国や占領軍司令部の強い誘導があったとしても、当時の体制や民意を代表する人々が特段の抵抗をせずに賛同した以上、これは日本国民が定めた自主憲法と言わざるを得ない。これがJさんの主張である。
 対するOさんは、軍事占領下にあった当時の日本国政府には抵抗の手段がなかったこと、また国民が日々の生活に追われる中、情報統制も加わって、憲法改正に関心を持てる状況ではなかったことなどの事実を指摘し、日本国憲法自体の正当性に疑問を提起した。
「他国による占領下でその国の基本法制度をいじってはならないというのが国際ルール。根幹である憲法典を改廃するなどもってのほかだろう。連合国との平和条約が発効して独立を回復するのが昭和27年4月。その後に日本人の手によって新憲法を制定するのが正しい方法だ。しかしその作業は進んでいない。ということは形式的には現時点で有効なのは明治憲法ということになる」

憲法改正論議は必要
「Oクンの復古主義には困ったものだ」とJさん。「天皇にすべての権限があるとか、基本的人権は法律の制約のもとでのみ認められるなど、現代日本人の常識に照らしても到底国民が容認しない条項が満載されているのが明治憲法だぜ。その憲法典が今も有効であると言うのかい」
「そんなことは言っていない。憲法は国法の根幹だ。国民の政治意識を踏まえたものであるべきだ。ボクが言いたいのは、日本国憲法の制定手続きが正当性を有さないということで、明治憲法の内容を維持せよということではない。一刻も早く、正当な手続きによって新憲法を制定すべきといっている」とOさん。
「その点では一理ある。ただし新たに憲法を全面改正しようとしても国民の意見はまとまらないと思うぜ。現に憲法改正を党是として結成された自由民主党の超長期政権下においても、憲法は一文字も改正されていないではないか。一から作り直すなどと大風呂敷を広げず、今の日本国憲法を承認した上で、必要ならその改正を考える。国民の中には、ボクのような絶対平和主義とは違う意見の持ち主もいるだろう。その点、ボクはいかなることがあっても憲法改正をさせないという教条的な護憲論者ではない」
「それを聞いて少し安心した。現代の国民の手で憲法典を作り直すことが必要なことについてJクンも同意しているわけだ。ただしその改正手続きが問題になる。国民の大部分はJクン流の絶対平和主義を否定し、自衛権やそのための軍備を必要としている。ところが日本国憲法の改正手続きは、国会の衆参各議院において総議員の三分の2以上の賛同を要求している。しかし明治憲法では、衆貴各議院において総議員の三分の2以上が出席しその三分の2以上の賛成を求めていた。議員定数を270とした場合、日本国憲法では180人の賛同が必要だが、明治憲法の改正手続きでは120人で足りる」
「日本国憲法での『総議員の3分の2以上要件』は厳しいわね。3分の1の抵抗で身動きできない。改正不可の憲法とはいったい何よ」。菜々子は議論に割って入った。

戦争放棄について
「日本国憲法の“戦争放棄”は世界的に特異なの?憲法第9条を世界遺産に登録しようという運動があるけれど、その代償として日本国家が外国に侵略されたのでは子孫に申し開きができない。Jさんの絶対平和主義が世界中に受け入れられれば素晴らしいけれど、金正恩、習近平、プーチンの『自国憲法を絶対平和主義に改める』との言質が前提だわ」
 菜々子は自説を述べることにした。「第二次世界大戦直後はたしかに世界中が戦争はこりごりと思った。だから『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する』ことができた。でも今はどうなの。疑心暗鬼も手伝ってか、世界中が軍備拡張に狂奔している」
「だから日本の再軍備が必要」とOさんは主張し、「それでは世界戦争で人類滅亡になるから日本国民が範を示さなければ」とJさん。二人は堂々巡りの議論に戻ってしまった。
「国連憲章はどうなっているの」と菜々子は再び介入する。侵略国には世界各国が束になって相手になるというのが、国連の創設理念と学んだ記憶を思い起こしたのだ。三人でスマホを検索する。「加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇や行使を慎まなければならないとあるが、日本国憲法第9条と同じじゃないか」とOさん。
「国連は日独伊の三国同盟を敵視して作られたのよね。同じ敗戦仲間の諸国憲法はどうなっているの」との菜々子の問いには、Jさんが解答を見つけた。「ドイツ憲法第26条では侵略戦争やその準備を禁止しており、イタリア憲法第11条では戦争放棄などを規定している。ただ軍備すなわち『陸海軍その他の戦力を保持しない』と踏み込んでいるのはわが日本国憲法だけだ」
 問題はこの点だ。菜々子の自説開示を続ける。国連憲章は加盟国の武力行使を容認しないとした上で、違反国に対しては加盟国による国連軍を組織して対抗手段をとると第51条で明記している。その場合に国連軍の支援を受ける国が「自分たちは非暴力主義なので何もしない」では済まないはずだ。国連の敵国であった日独伊も戦後に順次国連加入を認められ、日本は昭和31年12月に加入し、国連軍の支援を受けられる立場になった。同時に国連憲章を遵守する義務を負うことになった。
「日本国憲法の精神は現代日本国民の支持を受けていると思うのよ」と前置きして続ける。「前文で〝諸国民との協和”を強調しているけれど、その真髄は国連憲章だと思うのよね。だとすると国連加盟後は、その憲章と明らかに矛盾する憲法ではまずい。絶対平和主義を貫徹して『他の平和愛好国を見殺しにする』というのは手前勝手だわ。『国連を脱退しなさい』と言われたらどうするのかしら。かといってOさんの『日本国憲法は継子である』というのも国民意識に合っていない」
「じゃあ、どうすればいいのさ」。Jさん、Oさんから同時に責められた。
 こういうときは両方の肩を半分ずつ持つに限る。「今の日本国憲法と一条だけ異なる新憲法を、明治憲法の改正手続きに沿って定めることだわ。異なる条項とは議決の要件。イタリアは総議員を分母とするが必要数は2分の1以上、ドイツは3分の2を要求するが分母は評決数。改正の現実性が肝要なのであり、実際に改正するか、解釈で対応するかは、国民の判断事項だと思うのよ」。

(月刊『時評』2019年11月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。