お問い合わせはこちら

菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第191夜】

吉本問題、何が問題

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

お笑い芸人の裏営業問題
 どのチャンネルもこの報道ばかり。大阪を本拠とする超大手のお笑い演芸プロダクション所属のタレントが、会社に無断(闇営業)で謝礼をもらって会合に出席し、求められるままにツーショット写真撮影などに応じていたというのが、当初の構図だったと記憶する。
「そんなん、すこしくらいええやんか。民間企業かて、サラリーマンの副業を推奨する時代でっせ」。自由主義者の梁山泊の感がある久寿乃葉のこと、関係芸人をクビにして契約を解除するとの会社方針はとても評判が悪かった。それが一転したのはお付き合いの相手が普通の企業ではなく、振り込め詐欺の疑いのある反社会勢力であることが判明したためだ。
 テレビ会見したタレントは、「報酬を受け取っていない」が通用しなくなると、「そういう団体とは認識していなかった」と弁明したとのことだ。これでは馬脚がモロ出し。
「そんなはずがあるかい!ちょっと写真を撮らせたら束になった万札をくれるなんて大相撲の横綱でもあるまいに。自身の社会的価値に照らせば、ウラがあると想像するのが常識やおまへんか」。久寿乃葉での世論は急展開したのだ。
 しかし異論はどこにでもある。「報酬授受がなかったとしても指弾されるべきなのだろうか」とMさん。引退前に政府官僚としてそれなりの地位に登っていた関係で、郷里で開かれた政策講演会の講師として呼ばれた。聞きつけた中学時代の友人たちが同窓会を企画してくれた。どこに落とし穴があるかもしれないと、慎重なMさんは二次会、三次会費用もきっちり払い、証拠として領収証も受け取っておいた。最後に行ったパブでバーテンダーが話しかけてきたのだ。「オレのこと覚えてないかな。期末試験の直前にはいつも世話になったKだよ」。言われて記憶がよみがえる。お小遣い欲しさで3年生の夏休みにサイダー工場でアルバイトしたのだが、そのときの口利きは校則破り常習のKクンだった。「これは奇遇」と大いに盛り上がった。
 その数日後、Kクンが恐喝容疑で逮捕された。報道では暴力団構成員とのことだ。Mさんの頭に浮かんだのは、「俺に恥をかかせないでくれ」とのKクンの懇願に負けてパブでの支払いをしなかったこと。懐かしさでその場での写真は山のように撮られているはずだ。デュエットカラオケの証拠ビデオもあろう。ただKクンの口が堅かったのか、警察が事件とは無関係と判断したのか、Mさんにマスコミ取材はなかった。

反社会勢力とはだれのこと
 反社会勢力と付き合ってはならない。これに異議を唱える者はいないだろう。法律(暴力団対策法)にもそう書いてある。だが難しいのは運用だ。「額にバツ印の刺青がある人と付き合ってはいけません」というのであれば話は簡単だが、実際にはもちろんそうなっていないし、組マーク入りのバッジを常時上着の襟に装着しているわけでもない。各都道府県警察が暴対法に基づいて指定した組は24だそうだが、その所属組員と周辺活動準組員だけで3万人以上になるそうだ。警察では個人ベースで把握し、データベース化しているのだろうが、情報公開しているわけではないから市中の民が知るわけがない。Kクンが某組のメンバーであるなど地元にいた同級生だって知らなかったのだ。
 「それは言い訳にならないな」と突き放したのがNさん。「先般、ドライブ中にいったん停止の標識を見落として捕まり、ゴールド免許の特権をはく奪された。道路のカーブに標識があり、本当に気付かなかったのだ。警官に言うと『そうなのですよ。本当に見づらい。ドライバーは皆さんそうおっしゃいます。でも規則ですから見逃すわけにはいかないのです』と暖簾に腕押しだった」
 それとこれとは問題の次元が違うだろう。Mさんの猛抗議で議論があらぬ方向に行きそうになり、菜々子が割り込んで本題に戻す。

反社会勢力は存在していいのか
 暴力団で思いつくのは、一般市民に対する脅しだが、これは立派な刑法犯罪。これ以外にも市民間の金銭トラブルに介在して司法手続きを形無しにしたり、違法な大金をロンダリングして正常な経済活動に支障を及ぼしたり、覚せい剤を売りさばいたり、賭博を開帳したり…。剣劇一座の興業では、弱き者を助けて悪代官に立ち向かう義賊が登場するが、現代の暴力団にその片鱗を期待することはありえない。
「反社会勢力が存在するから、それとの付き合いが生じるわけでしょう。暴対法で指定されるということは、どこから見ても社会的に存在を許容すべきではないからだと思うわよ。ああだとかこうだとか言ってないで、指定団体には間髪を入れずに解散を命じることに法改正すれば解決するはずだわ」
 われながら筋が通った理屈である。だが即座に反論を受けた。
「この国では結社の自由が保障されていてね。暴力団だから存在を認めないというわけにはいないのさ」とTさん。「恐喝、傷害、覚せい剤販売、賭博開帳などの犯罪行為を実行するのを待って逮捕起訴するしかない」のだという。
「この前の参院選挙の際の公開演説で『安倍総理を叩き切る』と殺人予告さながらの絶叫をした知識人がいたけれど問題にならなかった。これは憲法21条が言論の自由を保障しているからであり、結社の自由もそれと同じ条項に明記されている」とTさん。

言論の自由を守るのが一番
「その論理はおかしい」。Nさんが口を挟む。「先ほどの叩き切る発言だが、発言者の意図を正しく読み取れば、『安倍首相の政策に反対だ』と言っているだけで、実際に爆弾を投げつけようなどというわけではない。殺害依頼者がいて報酬の約束をしていたわけではあるまい。当人は自身の政治演説が佳境に入って言葉に酔っていたのだろうから、周りが『表現を穏当に』と注意してあげるべき事項だと思うぜ。これに対し暴力団の場合はどうか。団体の事業目的が何かを確認していけば、違法悪徳な事業がその手段になっていることが明らかになるはずだ。暴力団の常とう手段である脅しとは、対象の人の正当な発言を封じることだ。つまり言論の自由の封殺。Tクンが持ち出した憲法21条には検閲をいっさい許さないとの文言もある。政府の検閲はダメだが、暴力団の検閲はいいのだという論理はあるまい」
 Nさんは菜々子の主張を支援してくれているようだ。
「Tクンが共産中国に居を移したとしよう。『共産主義は国民を不幸にするから廃絶すべきである。ついてはそのための教宣活動をする団体を作りたい』と知り合いの政府高官に相談したとしよう。間違いなく身の上に災難が降りかかる」
「言論の自由が保障されないのが共産党支配の社会だから仕方がない」
「では思想や言論の自由に最大の価値を置く自由社会で、『言論の自由を認めないぞ』と公言し、そのための実力行使手段を公然と準備している団体がいたらどうすべきなのか」
 Nさんは考え込んでしまった。ドイツでは旧ナチスの親衛隊のような団体は禁止されているという。日本の暴力団がそれと同次元かといえるかという指摘はあるだろうが、少なくとも日本社会から暴力団が消えてしまっても、別段困ることはないだろう。

反社会的な人物
 仮に暴力団の定義を明確にして、該当する団体は解散させられることになったとしよう。その暴力団の構成員だった者の処遇はどうすべきなのだろう。
「ボクの学友だったKクンの事例だが、彼は恐喝で逮捕されたが、余罪はまったくなかったらしい。組の若い者が対立暴力団に痛めつけられた仕返しとして呼び出して脅しあげたら、相手が有り金を置いて逃げ出した。それで恐喝罪が成立したのだが、普段の生活の資はバーテンダー業務で得ていたという。組員になった理由も妹の亭主がその組の幹部であったからだと執行猶予判決後にKクンから直接聞いた」とMさん。
「暴対法施行以後、組員の生活は厳しいらしい」と、Nさんは一般市民があまり知らない情報を披露する。飲食店街をシマにしてミカジメ料をせしめる手法は難しくなっている。ミカジメ料を支払った店主の側も罰せられるのだから、脅しに屈するわけにはいかないのだ。シノギの道が狭まった組員が狙ったうちの一つが公金の詐取。病気で働けないと虚偽申請をして(本当に病気なら他人を脅すことはできない)、生活保護を申請するのだそうだ。
「暴力団員には生活保護を支給しないとの政府の通達があったのでは」とTさん。国民には勤労の義務があると憲法27条に明記してあるが、その心は自分の食い扶持は自分で額に汗して稼ぎなさいという自由主義社会の根本原理を定めたものだと小学校だったか中学校だったかで教えられたことを菜々子は思い出した。
「そのとおりでね」とNさんの補足。暴力団員は基本的に正業に就く意欲が薄い人種ということで生活保護「無差別支給」の例外にされている。ところがこれにさらに例外があり、暴力団員でなくなれば制約がはずされる。それで「暴力団を脱退するつもり」と誓約すれば支給対象になるのだとか。ただし「組の親分が脱退を認めてくれないので」と言い訳すれば、脱退の件はうやむやになり、組員でありながら支給が続く。
「組を強制解散させて存在させなければ、組員に脱退を躊躇させる障害はなくなるはずだわ。そして次には堅気に戻ってしっかり働かなければ支給停止。即ちワークフェアを欧米並みに日本でもしっかり実施すれば解決ね」
 お笑い芸人のヤミ営業事件で、マスコミで本当に論じるべき本質はどこだったの?

(月刊『時評』2019年10月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。