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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第189夜】

少子高齢時代の住まい事情

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

住宅の耐用年数
 久寿乃葉は運河の桜並木に面する民家の2階を借りての営業である。もともとは深川辰巳芸者さんの住まい用途だったと伝えられ、間取りや造作は文句なし。ただ、敗戦直後の物資不足の中、入手できる資材をかき集めた建築のようで、柱は細く、70余年の経過でピサの斜塔のごとく、傾きかけている。
 建物は古くても室内設備は近代的にということで大型空調施設を設置していたのだが、それが壊れてしまった。「部品を入れ替えればなんとかなるのでは」とメーカーに談判したのだが、「この型式機器用の部品はとっくに製造中止。配管など装置全部を入れ替えるべき。人間と同じで機器にも寿命があるのです」と営業マン。しかし住設機器の寿命が住み手より短いのはおかしくないか。だが“菜々子の正論”は通じなかった。そして問題はそれからだった。営業マンが言うには、機器の仕様自体が変わっており、配管等を含む装置全般一式の取り換えが必要という。そのためには壁に穴を開け、天井板を一時破壊するなどが必要になる。大家さんに相談しなければならない大工事である。
 ただし機器の新装は住宅の経済価値を高めることでもある。「久寿乃葉廃業の際には大型空調設備一式を大家さんに無償譲渡するので、入れ替え費用の大部分を負担してもらおう」。これが菜々子の腹案だったが、大家さんの反応は違った。「工事費用への協力など論外。大型空調など余計なものは退去時にはきれいさっぱり取り外してもらいます」。そんな無体な。今回の空調装置更新の費用を償却するには、菜々子は死ぬまで働かなければならない。
「そういうことならボクもせいぜいお店に通うから、ママも百歳まで頑張って」と常連さんは声援してくれるが、「あなたも私も棺桶に片足が入っているのですからね」。

建てては壊す
 なぜ大家さんが空調設備更新に非協力的なのか。想像するにこの土地・建物を売りたいのではないか。門前仲町の一等地。小さな商業ビル用地としてもけっこうな売値になるはずだが、上に古屋があり、そこに店子が居座っているとなれば、買い手は躊躇するだろう。
 この国の不動産取引では、建物が乗っていない「更地」であることが暗黙の前提になってきた。よって貸家の耐用年数が長いことは、大家さんには望ましくないのである。そして借家法の借り手保護がこの傾向を助長する。大家さんの方から契約解除を言い出すには、「建物が古くなって安全を保証できない」しか切り札がない。これは持ち家の場合も同じ。昨今の少子化、兄弟数減少で、住まいを継承する子を持たない親が多い。そうした者は持ち家を売却して老後資金に充てたいと考えるが、その場合、家屋の除却、更地化が前提になる。百年以上耐用の頑丈な家は壊すにも費用がかかる。すぐに壊れるチャチな家の方が合理的だったのだ。

老後の住まい
 しかし状況が変わって本格的少子高齢社会に突入している。久寿乃葉常連客の住まい環境を探ることから始めよう。
 まず3人娘の父親であるEさん。「一人くらいは婿さんを説得して三世代同居になると思って、退職金をはたいて3階建て庭付き住宅を用意したのだがね」と前置きし、「勤め先に遠いとか、孫の教育環境がどうとかで、今はオレたち老夫婦だけで2階以上は無用の長物」とか。「この家をだれが相続するのかと家族会議で持ち出したら、口をそろえて『更地にして売却金を三等分する』ってさ」とかなり投げやり。
 奥さまを早く亡くし、一人娘が遠方に嫁いだAさんは、「老後はマンションと決めたのだが、3LDKでは今はよくても、後10年もすれば広さを持て余すと思う。高齢者に必要なのは、段差のないバリアフリーのほかには、体調管理のために床暖房、異常察知のためのセンサーなどの機器、さらに掃除、調理などの家事支援を頼める信頼できる業者との契約とそれに必要な資金の準備だ」。
 現役時代に伴侶に恵まれなかったJさんは、その結果として子どもがいない。資産を譲る相手がいないから持ち家は考えず、気に入った家を住み替えてきたが、足腰が不自由になったら、専用の老人マンションの終身居住権を買うつもり。ただし有料老人ホームにせよ、サ高住にせよ、「住み手への監視や管理が過剰なのは閉口だね。住まい手は人間であって、モノではないのだから」。
「今はお元気だからそう言うのでしょうが、半身不随とか、判断能力を欠く認知症になることも想定しておかないと」との菜々子の問いへのJさんの答えは、「自由人は自身の終末準備をする義務があるはず。他人様には迷惑をかけない。特にボクたちのように子どもや親族の支援を期待できない者は、自身の資産で結末をつける覚悟を持たなければ。次世代の育成に貢献していないのに、介護も年金も世代間扶養を要求するのは不道徳です」
 これには子育て体験があるEさんやAさんが驚き、「子孫をつくらなかったことでそこまで罪悪感を持たなくても」とJさんの肩を叩き、お酒のお酌をしていた。子育て貢献実績がない点では菜々子もJさんと同じ。高齢世代人数が倍になるか、現役世代人数が半分になれば、社会保障給付を半減しなければ計算式の左右が合わない。その場合、真っ先に給付を遠慮すべきは子育て貢献実績がない者だろう。これが国民感情であり、国の施策も次第にそうなっていくだろう。少子高齢化は、“負担者の不足”であると同時に、“受給者の過剰”。多数派と化した高齢者を〝社会的弱者”として一律保護対象にするのは土台無理なのだ。

住まいで苦労しているのはだれ?
 衣食住のうちもっとも計画性を求められるのが〝住まい”である。長生き社会はよい住まいを得るためには好条件と言える。
 逆に住まい確保で不利になるのが若年世代ではないか。15歳とか18歳でいっせいに社会に出て勤労生活に入った時代と違い、これからの時代は勉強を続けたり、非正規等の転職を繰り返したりの期間が総じて長くなる。生涯の天職に就く時期が遅くなっていくのだ。当然、それまでの準備期間中の収入は少なく、不安定でもある。これに対し子どもを産み育てるには適齢期がある。「結婚は定職を得てから」などと言っていると、無子社会が現実になりかねない。
 政府も曲がりなりに幼児の教育費無償化など言い出しているが、子を育てるにはそれにふさわしい住宅環境が必要だろう。ワンルームマンションはもともと一人暮らし用。夫婦二人まではなんとかなるとしても、子どもが二人、三人となっては居住不能だろう。しかし収入の方は仕事の成果に応じて得るものであり、子どもが増えることは収入増にはつながらない。つまり子ども数に応じて広い家に転居しようにも、家計がそれを許さない。その結果、子どもを産むのを先延ばししようとなり、やがて年齢制限で諦めることになる。
 ここは発想の切り替えが必要だとEさん。「3人娘、それぞれの家族が家では苦労している。『お父さん、マンション買うから応援して』と言われてもねえ。一人だけなら今住んでいる家を売ることで工面できても、3人では無理。子どもがいる若い世代が住む家で苦労しないで済む政策が必要だ」と多子世帯の声を代弁した。
「難しいことではないと思うよ」と応じたのはAさん。「大家さんには賃貸事業にかかる経費控除が認められるが、その際、借り手の子ども数に応じた経費増額を認める。子どもは家を汚しやすいとか理由はどうにでも付くだろう。反面、大人だけ世帯向けの賃貸では賃貸事業経費を厳しく判定することで、税収は中立を保てるはずだ」
 Jさんもアイデアを出す。「借り手世帯に子どもがいる場合は、子ども数に応じた税額控除をすることで、実質補助金支給と同じ効果を得られると思うよ」
 持ち家志向のEさんが付け加える。「日本の新築住宅は若者の収入に対して高すぎる。子育て中の若者が中古住宅を購入してリフォームすることを推奨し、その際の費用負担をそっくり税額控除してはどうか。以後20年間の所得税からの控除を認めることで、子育て期間中は実質的に非課税に近くなり、減税分を子育て費用に回せることになる」

子育て世帯と住宅政策
 菜々子の頭に「福祉の基本は住まいである」との言葉が浮かんだ。戦後直後は、空襲等で何百万戸もの家が失われ、かつ大量の海外からの引揚げ者、加えて戦時中の反動としての結婚、出産ラッシュで、空前の住宅不足。官民挙げての建築ブームになったが、そのなかには〝文化住宅”という名の粗悪住宅も多かった。久寿乃葉が借りているのもその一戸だが、当時としては上等部類であったことを大家さんの名誉のために付け加える。
 戦後直後に「厚生住宅法案」が国会に上程されたという。その内容は、戦争で家を焼かれた被災者や戦傷障害復員兵士や戦災寡婦などへの低廉な住宅の供給策であった。応急措置として国が主体となって賃貸住宅を整備することであった。住まい確保が福祉の原点であることが認識されていたわけだが、国会ではその理屈は通らなかった。
 だが、時代が変わって今は家余り。2割、3割もの住居が無人状態である。しかし収入がいまだ安定しない若者が子育てするための家は、その収入では手が出ない。その結果、少子化はその度を高め、空き家はさらに増えていく。子どもを産み育てるのは人間の本能。しかるに日本政府の政策がそれを難しくしている。ならば若者の声で政策の方向を変えよう。空き家を子育て家族用にリフォームする。それを借りたり、買ったりする場合に、子育て若者の経済負担を税金減免(税額控除)で支援する。貸す側の大家さんにも子育てしている者を選別したくなる税制上のインセンティブを与える。
「久寿乃葉の空調整備更新はどうするの?」。Jさんの声で我に返った。

(月刊『時評』2019年8月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。