2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
入管法改正の意図
出入国管理法の改正がされ、単純労働者に入国と居住権が与えられる。「世界に開かれた日本」という視点からすれば、これは当然の施策との見方もあるだろう。だが期待どおりの状況が実現するのか。久寿乃葉の常連客で諸手を挙げて賛成する者はほとんどいず、懸念や心配の声が目立つ。主な意見を紹介しよう。
「建設業や介護業界が安上がりの労働力を確保したいという目先の要求がベースだよ。関連企業は人件費節減で当面潤うだろうが、その後はどうなる。人手が足りたからお帰りくださいとはいかないぜ」とAさん。
「どういうこと?雇用契約がないと在留資格は失われるから、母国に帰るのが筋ではないの」との菜々子に問いに対して、「母国で借金して渡航費用を工面して日本に渡ってきているのだぜ。低い賃金の中からあらかたを送金しており、貯金など持っているわけがない。帰ろうにも航空券を買えない。帰れば帰ったで、借金取りが待っている。日本国内で失踪して裏社会に潜るのが想定される先行きだろう」。家も金も仕事もなければ、物乞いするか、強盗するかというのが、昔からの貧困問題である。どう見ても由々しい事態になるだろうという物騒な予言である。
「捕まえて強制送還し、航空券代その他を彼らの出身国政府に請求するのが筋ではないの。貴国の国民が日本に不法滞在しないようにしっかり管理すべきであった」と請求書を送りつければいいのではと菜々子。
「国際関係は理屈どおりにはいかないよ。送り出し側はだいたいが貧困国。先進国の経済援助で生き延びている国では、請求書はそっくり日本への援助増額要請に変わるだけだと思うな」とBさん。
日本の甘い社会保障
「その前に、日本国内の“人権派”と称する有象無象の怪しげな団体が強制送還をさせないと思うぜ」とBさんは付け加える。生活保護を支給せよとの声に自治体が迎合すればどうなるか。「巨大貧困ビジネスの新市場ができあがる。そこに内外の闇組織が介在して、警察も踏み込めない無法地帯が出来上がるのは時間の問題だ」
Cさんは別の角度から論じる。「こうした動きを敵対国が利用しないはずがない。自国籍の者を一定地域に集住させ、組織的に生活保護などの福祉給付を要求させる。いったん受給を認めさせれば後は簡単。協力的な日本人弁護士などを使って、支給打切りをさせないよう自治体政府に強談判を繰り返す。その国籍者にとっては安住の地になるから、やがて区域内の日本人人口を凌駕するだろう。生活保護費がいくら増えようが、費用の4分の3は日本国政府の負担だから、遠慮することはない。『日本の国土は日本人だけのものではない』といった旧民主党のH総理のような日本人を市長に担ぎ出し、あとはやりたい放題…」
「そんなこと日本人がだまっていないのでは?」との菜々子を制して、「ヘイトスピーチ禁止法という武器が彼らにはある。日本人による外国人行為への批判を取り締まる法律だから、これをちらつかされたら、日本人は黙るしかない」とCさん。
普段は紳士的な人たちだが、不法外国人の跋扈には腹に据えかねるものがあるようだ。
Aさんに発言の順が戻った。「この国の主は日本人。日本語を話し、日本の歴史に愛着を持ち、天皇陛下を敬愛する者の国だ。旅行に来て、この国に親近感を持ってもらうことは大歓迎だが、搾取されにやってきて、反日感情を深めることが予想される出稼ぎ労働者を受けいれるべきではない。裏社会の手下になるとか、母国政府の指令にしたがって反日デモを組織するような行動をしたら、即刻銃殺にするくらいの覚悟があるのなら別だが、その決意もないくせにずるずる入国を認めて、その後国内が大混乱に陥っても知らないよという者が、国民代表の政治家を名乗るのが許されるなど、もはや亡国の淵だぜ」
労働力は足りないのか
労働力不足を補うためというのが、今回入管法改正の目的なのだが、ほんとうに国内労働力は足りないのか。
「政府は失業率の低さを理由に挙げるようだが、この率は働く意欲がある者が分母になっている。深刻な労働力不足というのであれば、老齢年金の支給年齢を繰り下げて元気な老人には75歳まで働いてもらわなければ。それを念頭に企業の定年を伸ばせと政府は産業界に働きかけなければならないはずだ。また、心身に支障がないのに働こうとしないフリーターやニートといった若者がなぜ存在するのか。生活保護受給者が200万人以上もいるが、そのすべてが働けない深刻な事情があると政府は証明できるのか」とCさんの口は速射砲。続けて「ドイツなどでは先般生活保護制度が改められ、労働能力がある者は自発的に働かない限り生活保護を支給しないことになった。その際の労働能力は厳格な客観的基準であり、対象者の97%が労働可能と判定されることになったという」
「日本は明治維新以降、一貫して労働力の過剰が政治課題であった。働く場が絶対的に不足していれば能力に優れない者は労働市場からあぶれる。労働能力が欠けていなくても生活保護を支給することがあるのはそのためだ。状況が変わり、国内労働力不足になったのであれば、生活保護制度を縮減することで、労働力捻出と政府財政緊縮の双方を同時達成できる絶好の機会のはずだ」とCさん。
一神教と神の前の平等
政府批判はたやすいが、それだけで終わったのでは社会の利器につながらない。
「産業界や政府の労働力不足との認識が正しいとしたらどうなの。そして高齢者の引退時期を遅らせることや、福祉受給者を職に就かせることに心やさしい日本国民が同意しないとしたら。この場合はやはり外国人単純労働者の受入れが必要になるのではないかしら」と菜々子は口を挟んだのだが…
「それでも労働者の受け入れには反対だ」とAさん。経済のグローバル化への対処に2通りの対応があると指摘する。
「企業活動に国境がなくなるのがグローバル化で、経済のルールが同一になっていくことだ。モノもヒトも需要があるところに流れる。その場合、モノとヒトとのどちらがより自在に移動するのかについて、その社会の特質が現れる。その違いの基礎は宗教に起因するのだとオレは考えている」
「宗教と経済?いったいどういうことだ。キリストがビジネスマンだったと言い出すのではないだろうね」。Bさんが茶々を入れた。それには答えずAさんは続ける。
「唯一絶対、無限の力を持つのが一神教の神。この神の下では人間は皆、平等で無力な存在。そして相互には対等である。各自それぞれが神の意思にしたがって地の果てまでも移ろうことになる」
「神が移動を命ずるときに国境などは障壁にならないわけ?」との菜々子の問いに、「労働力過剰地域から不足地域へのヒトの移動は、神の意思による当然の摂理ということになる」
多神教世界とグローバル経済
「日本にも神様はいらっしゃるぜ」とCさん。対するAさんの解説はこうだ。
「八百万(やおよろず)の神がおわすのが日本社会。ただこれらの神々に明確な序列がない。少なくとも唯一絶対、全能の神がいない。キリスト社会では『善行』とは神の意向に沿う行動のことだが、多神教では同一の議論ができないから、代わりに相対基準で『善行』を判断する。この場合、分かりやすいのは、周りの他人による価値判断で『良い』と評価される行動が『善行』ということになる」
「日本人はまわりとの関係を重視して、空気を読むと言われるが、そのことに関係あるのかい」とBさん。
「そのとおり。日本人は周りの人々との関わりの中で心の安定を得ている。それから離脱するにはよほどの覚悟が必要なのだ。昔の大多数が食えない時代は別だが、今の満ち足りた日本人は国外出稼ぎを考えない。そこが一神教の欧米人などと根本的に違う」
日本人のグローバル経済への対応
「そうだとすると日本社会は、経済のグローバル化に向いていないことになり、日本社会の将来はますます暗いものになりかねないわ」。これにBさん、Cさんが頷いた。
「簡単にあきらめることはないさ」。Aさんが続ける。
「先ほどグローバル化ではモノとヒトが動くと言った。一神教に染まった人たちでは、ヒトの移動に抵抗がない。むしろ自在に動くべきものと考える傾向があるだろう。これに対し周りの人々との調和に重きを置く多神教社会では、ヒトではなくモノを動かすことを考えればよいことになる。物品の国際流通、すなわち自由貿易の促進だ」
「つまりこういうことか」と前置きしたCさんが、「自国の労働力特性にあった貿易品を製造して輸出する。労働力過剰地域では、労働力投入量が多い低付加価値製品を輸出するが、労働力不足になれば高付加価値製品の輸出に注力する」
「他国も同じことを考えるから、高付加価値製品の貿易で勝つには労働力の質を高めなければならないことになるぜ」とBさんから鋭い指摘だ。
「そのためにも日本人は今まで以上に各自が本気で勉強しなければならない。ニートやフリーターは存在してはならないのだ。国民すべてが勤勉に学び、働く。これが労働力不足社会の宿命なのだ」
「必要以上に働きたくない人には厳しい社会だな」とのCさんの指摘へ、Aさんは次のように締めくくった。
「周り以上に自分も頑張ろう。それが資源のないこの国を経済先進国に押し上げた。この基本原理は未来永劫変わらないし、変えてはならない」
(月刊『時評』2019年3月号掲載)