2022/12/12
森信 先ほど委員長が言われた垂直的な取引環境の整備とは、例えば消費税の転嫁円滑化策のようなイメージでしょうか。
古谷 そうですね。昨年暮れに政府全体で「価格転嫁円滑化パッケージ」が取りまとめられ、これに基づいて、中小企業庁や事業所管省庁と連携して、企業、特に中小企業や下請事業者の皆さんが、原材料価格や労務費、エネルギーコストなどの上昇分を適切に価格転嫁し、適正な利益を得て、賃上げの原資を確保できるような取引環境の整備に取り組んでいます。
森信 それは、監視を強化するということでしょうか。
古谷 はい、われわれにできることは、独占禁止法と下請法に基づく監視、取り締まりの強化です。具体的には、サプライチェーン全体の連鎖に注目して、中小事業者への不当なしわ寄せが起きないよう、独占禁止法の「優越的地位の濫用」や下請法の「買いたたき」などの事例が多発している疑いのある業種を選んで、重点的かつ網羅的に調査を行うなど、法執行の強化に取り組んでいます。
森信 以前フランスに消費税の視察に訪れた時、転嫁についてはほとんど問題になっていませんでした。日本で〝転嫁Gメン〟が存在するなどはむしろ驚き、と言われました。
古谷 私も主税局にいたころ、欧州やニュージーランドなどの付加価値税を研究したことがありますが、先方の関係者からは「付加価値税の転嫁や便乗値上げの問題なんて話は聞いたことが無い」と言われたものです。
森信 日本で転嫁が問題となるのは、中小企業比率が高いことが原因でしょうね。
古谷 系列取引とか多重下請けなどの日本経済に根強く定着している取引慣行からくる問題には、これまでもその時々の経済課題に応じて対処してきたと思いますが、現在の取り組みは「成長と分配の好循環」というメカニズムを動かすための一つの手がかりとして、適正な価格転嫁が実現する取引環境を整備し、コストカットで縮小均衡するのではなく、付加価値を高めることにより企業の生産性を向上させ賃金アップの実現につなげていきたいということだと思います。
フリーランス新法への準備
森信 直近では、フリーランスの保護を図るための新法が議論されているようですね。中身の具体化は内閣官房の仕事でしょうか。
古谷 はい、内閣官房を中心に、公正取引委員会、中小企業庁、厚生労働省が参画して、新法制定に向けた準備を進めています。早ければ今秋の臨時国会に提出する方向で作業しています。
森信 そのうち、公取委が関わる部分というと。
古谷 取引環境の整備です。下請法では、資本金額を基準にして発注者と下請事業者との取引関係について、契約書面の交付を義務付けたり、買いたたきや報酬の減額など取引上の禁止行為を定める等の規制を設けていますが、同様の規制をフリーランスに対して業務委託する事業者に求め、取引関係の適正を図るというものです。
森信 私も3年ほど前に、経済産業省の研究会で、発注者との契約内容が必ずしも明確でなくトラブルのもととなっているので、契約書をマイナポータルに登録させることによって、後日トラブルが発生した場合に契約内容等の明確化が図れるのではないか、と提言したことがあります。マイナンバー制度なども活用してフリーランスの保護を図っていくのも有効な手立てではないでしょうか。
古谷 なるほど、それは一案かもしれませんね。オフラインだけではなくオンラインでの書面交付が可能な時代になりましたしね。発注者とフリーランスの間では、契約内容について分かりやすい書面交付を求めることになると思います。
森信 仲介型プラットフォームを通じて仕事を得る、いわゆるギグワーカーについても私は問題意識をもっています。こちらの方が問題は深刻ではないかと。自営業者は大きく、伝統的自営と雇用的自営の二つに分かれますが、後者に属するギグワーカーは、自分の労務のみで所得を得ていることを考えると、実態は企業に勤める被雇用者と何ら変わりません。ところが労働法制や税法では、個人事業主として位置付けられ、法の保護から零れ落ちています。この点は公取委で現在、何らかの議論になっているのでしょうか。
古谷 ギグワークやクラウドソーシングで仕事を得る人も、取引適正化という点では今回のフリーランス新法の対象となります。一方で、労働者と認定されたフリーランスは労働法制の保護や規制を受けるということだと思いますが、そのようなフリーランスの労働者性の線引きについては判例に依拠しているので、実態を見て個別判断ということになるのでしょうね。
巨大デジタルプラットフォーマーへの対応
森信 租税の観点からするとフリーランスやギグワーカーには、給与所得控除に倣い、最低限の所得控除を付与して〝足切り〟のような措置を取るべきだと思います。そうでないと税務署に自己申告、経費はすべて実額控除では、本人も税務行政も大変です。
これは前述した仲介型プラットフォーマーの問題にもつながってくると思います。コロナ禍以後、急速に発展したデリバリーサービスなどを例にとると、プラットフォーマーというのはある意味、デリバリーフードで働く人の社会保険料負担をチートしていると言えるのではないでしょうか。これらのサービスで働く人を実際は雇用しているのですが、法制上はあくまで個人事業主ということで、本来負担すべき彼らの社会保険料を負担していない、それが、プラットフォーマーが巨利を得る一因となっている、それ故にプラットフォーマーに何らかの負担をさせ、もっと社会的責任を負わせる仕組みや制度を導入すべきだと私は考えます。競争の観点でもデジタルプラットフォーマーにはいろいろと問題がありそうですが。
古谷 GAFAなどの巨大デジタルプラットフォーマーは消費者や企業、社会全体に大きな利益をもたらしています。アマゾンで商品を注文したり、グーグルで地図を検索したりというのは日常茶飯事ですし、スマホのない生活は考えられない。通話だけでなく、メール、検索、ショッピング、ゲーム、学習、決裁、金融、健康管理など、日常生活のあらゆる場面でスマホは必要不可欠なデバイスになっています。中小企業のビジネス機会としても、デジタルプラットフォームは不可欠な存在です。一方で、こうしたデジタルプラットフォーマーは、ユーザーにオンラインサービスを無料やポイント付きで提供する一方で、それと引き換えに個人情報などのデータを収集し、これをビッグデータとしてAIで解析して、デジタル広告で巨額の利益を稼ぎ出してきました。最近ではクラウドサービスが新たな大きな収益源になっていますし、さらに、オンラインサービスにとどまらず、集積したデータの力を背景に、自動運転、電気自動車、金融・決済サービス、医療・ヘルスサービスなど、リアルなサービスにも進出してきています。
「データ資本主義」と言われるように、デジタル技術の進展でデータが大きな価値を持ち、データを競争の源泉にして、デジタルプラットフォーマーが競争上の圧倒的な優位を作り出して、市場を支配するような構造が生まれています。「勝者総取り」とも言われますが、オンラインで顧客にアクセスしようという企業は、デジタルプラットフォームが設定するルールに従わないとビジネスできないという市場構造です。このように市場支配力を持ったデジタルプラットフォーマーが、例えば、先ほどご指摘がありましたが、将来競争相手になりそうな有望なスタートアップ企業などの潜在的な競争相手を買収することにより競争の目を摘むキラーアクイジションとか、自社優遇や差別的な取り扱いなど競争相手を排除したり、新規参入を阻止したりといった反競争的な行為を行うと、イノベーションの衰退や消費者の利益を阻害することになってしまいます。
このような問題に対して、公取委も、海外の競争当局も、競争法の執行や新しい規制制度の立案(ルールメイク)の両面で積極的な取り組みを始めています。
森信 デジタル化した現状を鑑みると、われわれの日常生活に関して公取委の取り組みがもたらす意味は大変大きいと言えますね。デジタルプラットフォームに対してはどんな責任を求めることになるのですか。
古谷 デジタルプラットフォームに対するルール整備については、内閣のデジタル市場競争本部が政府全体の検討の司令塔となって議論を進めています。デジタル市場やデータの問題は、競争政策だけでなく、個人情報保護、知的財産、消費者政策など関連する政策分野が連携して一体的に取り組むべき課題だということで、私が総理官邸で副長官補をしているときに、関係省庁が共同で検討する体制ができたのです。公正取引委員会もオンラインモールやアプリストア、デジタル広告などの実態調査を進め、この検討に積極的に参画してきています。そこでの検討の成果物として、「デジタルプラットフォーム取引透明化法」が令和2年5月に成立し、経済産業大臣の所管で運用が始まり、1年余りが経過したところです。
森信 どのような性質の法律でしょう。
古谷 この「透明化法」は、活発なイノベーションが起きているデジタル分野での規制としては過度な制約や介入を避けるということで、大規模なプラットフォーマーに限定して情報開示や苦情処理のための体制整備などの自主的な取り組みを求め、それを政府や取引関係者などのマルチステークホルダーで監視するという、「自主規制と監視」(プレッジ・アンド・レビュー)の「共同規制」になっていまして、独占禁止法との関係では、事業者側のコンプライアンスの発揮に期待して独占禁止法違反の未然防止を図る、独占禁止法に至る前のソフトな事前規制と言えると思います。1年ごとに自主規制の取り組み状況を経産大臣に報告し、それをステークホルダーで評価し改善を求めるということになっていますので、このような「共同規制」が効果的にワークするかどうか実際の運用状況を確認していく必要があると思っています。
森信 諸外国の動向はどうなっていますか。また、今後のわが国での議論の方向性を教えてください。
古谷 海外で現在議論が進んでいる規制も、ex-ante regulation(事前規制)と呼ばれていて、EUのDMA(デジタル市場法)やアメリカの上下両院の規制強化法案が代表例ですが、独占禁止法のように違反行為を事後的に取り締まるのではなく、それよりも早い段階で対処しようという問題意識は「透明化法」と同じですが、巨大デジタルプラットフォームに対して、競争阻害的な行為を列挙して禁止するとともに競争を促進する対応を義務付けるという、より規制色の強い仕組みです。デジタル分野は、変化の速度が速く、技術的にも複雑ですので、公正な競争を確保するのに、事後的な対応では手遅れであり、このような事前の禁止や義務付けを行う規制が必要だ、という問題意識を各国の競争当局が共通して持っているということだと思います。
このようなデジタル市場での競争促進のための方策をめぐっては、G7でも共通の課題として議論するようになっていまして、昨年のロンドンに続き、今年の秋にはベルリンで各国の競争当局トップが集まって「エンフォーサーズサミット」が開催される予定です。
わが国でも目下、内閣のデジタル市場競争本部で、「透明化法」の次の課題として、モバイルエコシステム=スマホのOSやアプリストアなどの寡占、独占の問題に関して競争評価を進めていますので、海外の動向も参考にして、今後、新しいルールの在り方を含め、具体的な議論が展開していくことになると思います。
森信 わかりました。ところで、週末の過ごし方などは? 聞くところでは、7年余りにわたる内閣官房副長官補時代は行動制限がかかっていたそうですが。
古谷 はい、総理官邸にいたときは、なかなか遠方にも出られず、時折、こっそり近郊で山歩きなどするくらいでした。
森信 登山は、委員長就任後の現在でも?
古谷 確かに行動制限はなくなったのですが、最近は、加齢のせいですかね、だんだん高所恐怖症が昂じてきまして、信州の平らな高原なんかをトレッキングする程度です。
森信 最近読まれた本などはいかがですか。
古谷 そうですね、河野龍太郎さんの『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』 は面白かったですね。私が思ってきたこととほとんど同じ議論をしておられたので、わが意を得たり、でした。
森信 その本は私も読みましたが、現状分析など優れており全く同感です。本日はありがとうございました。
インタビューを終えて
古谷さんとは財務省主税局の勤務時代から旧知の仲である。7年にわたる安倍政権の内閣官房副長官補という仕事は、各省の実務を支える「縁の下の力持ち」で、古谷さんのような謙虚で広く目が行き届く方には実にぴったりの仕事であった。今回の座談でも、一つ一つ丁寧にかみ砕くようにお話しいただいた。激動する時代、広くわが国経済・社会のさまざまな分野を点検するお仕事に適任の頼もしい方であると改めて実感した。今後のますますのご活躍を期待したい。
(月刊『時評』2022年11月号掲載)