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【森信茂樹・霞が関の核心】太田充(財務事務次官)

不確実性な現在から未来に向けた、PB黒字化への努力

昭和35年4月17日生まれ、島根県出身。東京大学法学部卒業。58年大蔵省入省、平成17年財務省主計局主計官(総務・地方財政係担当)、20年主計局主計官(厚生労働係担当)、21年主計局総務課長、23年主計局次長、23年9月内閣総理大臣秘書官、24年12月大臣官房審議官(主税局担当)、25年主計局次長、27年大臣官房総括審議官、29年理財局長、30年主計局長、令和2年7月より現職。
昭和35年4月17日生まれ、島根県出身。東京大学法学部卒業。58年大蔵省入省、平成17年財務省主計局主計官(総務・地方財政係担当)、20年主計局主計官(厚生労働係担当)、21年主計局総務課長、23年主計局次長、23年9月内閣総理大臣秘書官、24年12月大臣官房審議官(主税局担当)、25年主計局次長、27年大臣官房総括審議官、29年理財局長、30年主計局長、令和2年7月より現職。

昨年、新型コロナウイルス感染拡大の影響を手当てすべく、政府は緊急的な大型財政出動に踏み切った。コロナ禍対応はいまだ一進一退の攻防が続くものの、財政面ではポスト・コロナを見据えた中長期の展望が望まれる。これまでプライマリーバランス(PB)黒字化に向けてたゆまぬ努力を続けてきた財務省は、さらに新たな局面に対峙することになるだろう。現在の状況と今後の展望について、太田事務次官に語ってもらった。

財務事務次官
太田 充

官僚人生の中で最も難しい事案

森信 今般のコロナ禍による緊急事態によって、思いがけない大幅な財政出動が求められました。この決断は国民にとっても異論のないところだと思います。

問題はコロナ終結後の財政をどうするか、と言うことです。私は在籍している東京財団政策研究所で他の研究者と共に、「緊急提言:そろそろポスト・コロナの財政、税制、社会保障の議論を」を発表したところ、各方面から大きな反響が寄せられました。それほど、ポスト・コロナの財政に対し各界からの関心が高いのだと実感しています。

実際のところ、この間の財政対応について、次官のご所感はいかがでしょうか。

太田 ご指摘のように、各方面の方々に関心を持っていただき、財政について心配していただいているのはたいへん有難く思います。昨年のコロナ禍が始まった当初、私は主計局長として一次、二次の補正に関わりました。個人の経験で恐縮ですが、これまで1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災などの自然災害、また1997年以降のわが国の金融危機、さらには2008年のリーマンショック等さまざまな事態が発生してきた中で、それぞれの状況に見合った対応を図ってきました。これらの事案が今回のコロナ禍と異なるのは、規模はそれぞれ大きいけれど、一度発生した後、問題状況が基本的には継続することなく、その後は回復に向かっていったという点です。

しかしコロナ禍は、第1波が収まればそれで終息とならず第2波、第3波が生ずる、さらに言えば1週間後、1カ月後でさえどうなっているのか予想がつかない、もっと事態が悪化する可能性がある、という点でこれまでの財政対応を要する事態とは大きく性質を異にするものだという実感です。そういう意味では、この事態は私の約40年にわたる官僚人生の中でも最も難しい事案だと、率直に思います。

森信 つまり、財政でいろいろ手当てしてもそれが解決につながるのか先が見えない、ということですね。

太田 一次補正は昨年の大型連休中に国会を通ったのですが、遡ると政府が予算案をまとめたのは4月の上・中旬の時でしたし、さらに朝晩・休日を問わず構想を練っていたのが3月の予算委員会の段階です。しかし、当初計画していた時と、それを国会に提出して通過するまでの時間的経過の間に、状況が大きく変化していました。考えた時点でベストだと思われたプランが実施の時には既にベストではなくなっている、そこにコロナ禍対応の難しさがあると思います。そういう意味では、各種手立てを講じた中で当時は不十分だと言われたことでも、今から思うと財政的には過剰な方策だったと感じることもあるかもしれませんが、少なくとも構想した時、決定した時等、各時点では最善だと判断されたのです。

さらに、ポスト・コロナの展望についてはもっと以前から描けるものと思っていましたが、1年以上経った5月半ば現在今なお明確な道筋が見えていません。解決に向けては本当に長い時間を要するし、対策を打ち続けるのも容易ではないと実感しています。昨年前半、当時の安倍総理は、最も重要なのは通常の生活が急に途切れてはいけない、とにかく雇用を維持するのが最優先だと強調していました。それがどのような事業・業種であれ今、現に働いている仕事を継続するしかない、と。本来はこのような不測の事態に依らなくても、時代の変化に応じて市場から撤退する事業もあれば新規参入する事業もあるべきところ、とにかくあらゆる事業を包括的に継続する、これが当面のポイントだと位置付けられました。結果として、1年以上にわたり事業の新陳代謝は半ば停止したままとなり、市場から撤退間近だった事業も当面は存続することになったのです。

森信 ゾンビ企業の存続ともいわれている現象ですね。

太田 この間、各分野で事業転換の動きが進まず、しかもその状態がさらに長く続くと想定されます。

森信 その点は今、出向・転職や事業の転換を促すための支援も拡充しはじめているようですが。

太田 昨年の二次補正の段階ですでに、そうした予算は一定程度計上されていました。しかし前述しましたように、その当時はまだコロナ終息後の話をメインテーマにできる状況ではなかったため、大きい声では計上したことを宣伝していませんでした。しかし結局は、終息ではなく第2波、第3波ということになり、転職を支援する補助金よりもその手前の事業継続への対応で手いっぱいになってしまったのです。

その結果、令和2年度の一般会計歳出は前年度の約102兆円に対し、約176兆円と文字通りハネ上がりました。この数字をもとに当然、今後の財政に向けた議論をしていかねばならなくなるでしょう。(図・一般会計税収、歳出総額および公債発行額の推移)

特別会計議論に対する三つの論点

太田 その議論には三つの論点があります。一つは確かに東日本大震災の例を鑑み特別会計という議論は議論としてあり得ると思いますが、それでも震災の時の財政出動額は今回の75兆円近い額よりかなり低いのです。

森信 確か、30兆円を下回る額でしたね。

太田 はい、額の規模が基本的に異なります。加えて二つ目、震災当時はいわゆる〝埋蔵金〟と呼ばれる予算や政府保有株がありましたので、それらを動員した上でなお不足した部分を所得税・住民税に臨時に上乗せしたためフレームを閉じる、つまり特別会計を賄えることができたのです。さらに三つ目を言えば、当時国際的にもギリシャの財政危機などが発生したことからG7、G20ともに国際社会が財政健全化への問題意識が高まっていたという外部環境も作用したと思われます。

森信 確かに、財政に対する国際社会の考え方、財政政策への期待など当時と今とでは違っていますからね。

太田 個人的意見としては、それ以後しばらくは金融政策を打つことが正しい対処である、と世界的な潮流になったと感じています。しかしそれも早晩行き詰まり、今度は、金融でなければ財政だ、という方向へ振れてきました。それによってMMT(現代貨幣理論)などの言説が取りざたされるようになったのです。

これらの背景のもと、現在と今後の財政を考えていく必要があるのですが、いかんせん今回は出動した額が大きすぎる反面、使える〝埋蔵金〟等がもう事実上残っていません。増税で補うとしたらまさに大ごとですが、では代替となる方策は何なのか。これはものすごく難しい問題です。

森信 ある程度、財源の目途を付けておく必要があるわけですね。70~80兆円もの財政規模では、かつての震災対応のようなパッケージがなかなかできにくい、と。

太田 そうですね。ただ、このコロナ禍の期間ですが、確かに自然災害に比べ長期に及んでいる、しかしそうは言ってもこの状況がこれから5年、10年続くかというとさすがにそうではないはずです。そうなるとコロナ対応の財源も大事ですが、より重要なのは、毎年毎年の歳出と税収の乖離、すなわちプライマリーバランス(PB)をどうするかが問われることになります(……続きはログイン後)

(聞き手)森信茂樹氏
(聞き手)森信茂樹氏

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