2024/05/10
「為せば成る為さねば成らぬなにごとも 成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)
『仁』の哲学で〝人づくり〟
昨年9月、いわき市に新たな市長が誕生した。いわき市出身、文部科学省で経験を積み、福島大学理事・事務局長も務めた内田広之氏だ。内田広之市長へのいわき市民の期待は高い。
私は長年、国・地方の選挙を研究してきたが、現職候補のスキャンダルなど特別な事情を除き、新人候補が現職に圧倒的な票差をつけて勝利することはきわめて珍しい。いわき市民がいかに内田市長に期待を寄せているかが良く分かる。
私にとっていわき市はたいへん思い入れのある土地だ。大学で鉱山学を専攻していた若き日に、私は常磐炭鉱で1カ月の実地学習を受けた。いわき市はもう一つの故郷のように思っている。いわき市は、2011年の東日本大震災、2019年の台風でも大きな被害を受けた。傷ついたいわき市は、内田市長のもと、どのような未来へと進もうとしているのか。5月10日、いわき市庁舎に内田市長を訪ねた。内田市長は語った。
「令和元年の台風で、いわき市では関連死を含めて14人の方が亡くなった。当時私は文科省から出向して福島大学にいて、故郷の悲惨な被害を目の当たりにした。東日本大震災で468人の方が亡くなり、以来、市職員も一生懸命に災害対応を行ってきた中で、そういう結果になってしまったことをとても悔しく感じた。私はこれまで国の仕事をしてきて、政治家の方々と一緒に政策作りをしてきた経験があった。25年間の経験を、今こそ故郷いわきのために使わなければいけない、とあたかも定められた運命のように感じて立候補した」。
内田市長は、中央での安定したキャリアを断っても、故郷のために尽くしたいという熱い思いを持っている。先の選挙で市民の心を動かしたのは、〝未来のための人づくり〟を訴えた内田市政のビジョンだろう。内田市長は語る。
「いわき市は、若者の人口流出や医師不足など慢性的な課題を抱えている。そういった問題に対して、市民の中には手の打ちようがない、とあきらめに似たムードがあった。新型コロナの蔓延も重なり、市民の中に閉塞感があったように思う。そういう中で、私は〝人づくり日本一〟を目指すと掲げ、未来のため教育や人づくりに魂を込めて向き合っていくという事を訴えた。
いわき市には、ひとたび災害が起これば、避難するにも誰かの助けを借りなければいけない人が1万5000人いる。医師不足や人口流出の問題にしても、故郷の人々や周囲の困っている人を思いやる気持ちが解決の糸口になると思う。『論語』に「我、仁を欲すれば、斯に仁至る」という言葉があるが、周囲を思いやる『仁』の哲学を、人づくりの根幹にしたい。こうした思いに市民の皆さんが共感してくださったのだと思う」。
上杉鷹山、瓜生岩子、そして内田広之
内田市長は上杉鷹山を尊敬しているという。鷹山は、かのケネディ大統領が最も尊敬する日本人として挙げた人物で、江戸中期、米沢藩主として、人づくりと産業育成で借財にまみれた藩の財政を立て直したことで知られる。内田広之市長は21世紀の上杉鷹山になりうる逸材だと私は感じている。
福島県には、また、瓜生岩子という「福祉の母」と言われた偉人がいた。若くして家族を亡くす不幸を乗り越え、慈善活動に奔走するようになった瓜生岩子は、戊辰戦争では激戦の会津若松に駆け付け、敵味方なく負傷者を手当てし、その後も社会福祉活動に奔走した。瓜生岩子は、戊辰戦争で没落した士族の子女のための学校を設立し、その教育にも尽力した。私には、この二人の傑物の魂を、内田市長が継承していると感じた。
「原子力災害のあった楢葉町や双葉町周辺で、もっとも大きな自治体がいわき市だ。この先、世界に類例のない廃炉作業を為し遂げて、さらに未来をつくっていくという中でいわき市の力は大きい。私はこの理不尽な苦難を、苦難と捉えるだけではなく、新しいものを生み出していく力にしたいと思っている。
上杉鷹山は、200万両もの借金や飢饉の苦難の中で、藩内で栽培されていたカラムシやベニバナなどに目を付け、さまざまな技術をもった職人を各地から招き、織物や口紅に加工して売ることを奨励した。今でいう農業の6次産業化だ。このように産業と人材を掛け合わせて、このいわき市から新しい価値を生み出していきたい」。
国は「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」を打ち出している。廃炉を進める中で、福島県には最先端技術・研究が集まり、新たな産業が生まれるフィールドとなる。内田市長もこの流れに期待を寄せている。内田市長は語る。
「いわき市は、高度成長の頃に『新産業都市』として14の市町村が合併してつくられた。この時の構想では、首都圏の大企業を支える地場産業を興すという意図だったが、時代が変わり、いまや下請けだけでは企業活動の存続は厳しく、優秀な若者にとって仕事に魅力を感じられなくなっている。国際研究産業都市構想をきっかけに、この構造から脱却していかなければならない。
国際研究産業都市構想では、廃炉、防災だけでなく再生可能エネルギーや宇宙産業といった最先端の研究が行われる。いわきの地場産業が、世界最先端の風力発電研究や廃炉技術などにイノベーションを生み出していく未来を描いている。また、地元大学や高等専門学校から新しいイノベーションを生み出すモデルも作りたい。
先に述べたように、いわきで育った若者が魅力的な働き場所がないと思って都会へ出て行ってしまう。そういう若者が、研究分野で活躍したり、専門性を生かして起業したりできる働く環境を作りたい。そうなれば、おのずといわき市に人が戻ってくるし、集まってくるはずだ」。
天災を乗り越え、新たな時代を作る
内田市長は、昨年9月の就任以来、精力的に「内田ビジョン」というべき意欲的な施策を進めてきた。市の情報発信の在り方を見直し、ホームページやSNS活用で市民にわかりやすく伝える工夫をするなど、さっそく新しい風を吹かせた。今年初頭はコロナ対策に傾注しなければならない状況だったが、中長期的な課題にもしっかり取り組もうとしている。内田市長は語る。
「長年の課題である医師不足の解消は市民の願いだ。いわき市の医師数は、人口10万人当たり167人で、全国平均246人、県平均204人と比べてもかなり少ない。しかし、医師不足といっても、どの診療科で何人足りないかがこれまで十分に把握されていなかった。まずは状況を調べ、その上で効果的な対策を取るため、職員と一緒に検討しているところだ。
また、高齢化が進む中で公共交通の充実も求められている。いわき市はかつて、日本一面積の大きな市だったこともある広大な市で、中山間地から都市部まで多様な対応が必要になる。これまでは補助金で路線バスを支えていたが、例えばNPOやタクシー会社と連携するやり方もあるだろう。先端技術も組み合わせた対処にも期待が持てる。今秋までに地域公共交通計画を立案する予定だ。
そして〝人づくり日本一〟の核になる教育分野では、今年から学力向上のためのチームを教育委員会に立ち上げた。私は秋田県の教育委員会で働いていたことがあるが、秋田県は全国学力ランキングでトップクラスを維持していることで知られている。秋田県にはトップになるためのノウハウがしっかりとあって、それを参考にしていきたい。例えば、学校ごとに認知能力とそれを支える非認知能力の相関関係を調べ、分析した内容をもとに適切な指導・助言を行っていく。学校は学校の世界で閉じがちで、先生方の直感が重視されるところがあったが、科学的な処方箋を考えていく体制を作った。何事もEBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング=証拠に基づく政策立案)でやっていきたい」。
今、いわき市民の明るいニュースとなっているのが、地元プロサッカークラブのいわきFCだ。2012年創設の若いチームだが、近年目覚ましい活躍を見せ、2022年にJリーグ(J3)に見事昇格した。
「トレーニング方法や選手の体調管理などを科学的に実施しているチームで、その活躍は市民の希望になっている。試合の時には県外からも観客がやってくるので、県の魅力を高める起爆剤になってくれている。地元の飲食店、宿泊施設などと一緒に、いわき市の魅力を伝える観戦ツアーなど観光に役立てたい。また、昨年、磐城平いわきたいら城の本丸の遺構が見つかるなど、いわき市には歴史・文化資源も豊富だ。近年のキャンプブームやワーケーションの取り組みなどでも、いわき市の豊かな自然をアピールできる。自然、文化、スポーツを連携させ、いわき市の魅力を発信していきたい」。
歴史を振り返った時、その時代に危機意識と緊張感を持った者たちが次の時代を作るという法則がある。いわき市は地震で、津波で、放射能で、台風でも傷ついた。市民それぞれが無慈悲な天災を背負ったが、それを乗り越えようとしている。この危機意識と緊張感が、これからの原動力になると私は信じている。市民の力を原動力にしながら、内田市長が市民と一体になって進む姿に内田市長の力強さを感じる。いわき市が輝くことが日本に勇気を与え、世界は日本を尊敬するだろう。いわき市は日本の見本となる都市になるはずだ。内田市長にはいわき市を教育都市として創生する大いなる力があると思う。内田市長の新たな教育田園都市づくりに私は期待している。
(月刊『時評』2022年7月号掲載)