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森田浩之「ヒトの知能とキカイの知能」⑰

AIにしてほしいこと

 クラシック・オタクにとって一番縁遠いのがジャズ。両者の違いを最も劇的に示したのが20年近く前のコンサート。当時、ウイントン・マルサリスはジャズ版の『ペールギュント』(グリーグ作曲)に凝っており、ロンドン交響楽団とジョイントした。

 今でも鮮明に覚えているのがアンコールの即興。マルサリスはマイクを持って、「オケの誰でもいいし、どんな曲でもいいから、好きに弾いてください。われわれが伴奏するから」とけしかける。一応、オケの全員が何か奏で始めるが、あっという間に音は止み、なんとかかろうじて一人のコントラバスだけが2、3分、単調なリズムを出していたが、それもフェードアウトし、聞こえてきたのはマルサリス・バンドの伴奏もどきだけとなった。

 クラシック、ジャズのファン、どちらでもすぐにお分かりだろう。これが両者の大きな違いだ。クラシック演奏者はどれほど難しい曲でも弾けるが、楽譜がなければ何も出来ない(暗譜で弾くことはある)。一方、ジャズミュージシャンは(知ったかぶりで失礼!)ある程度のパターンが身体に沁みついているため、短いフレーズさえ与えられれば即興でいくらでも演奏を続けられる。

 音楽がAIと相性がいいことは何度も述べてきた。音楽は芸術の中で最も論理的で、規則に従っており、聞こえる音は連続的だが、実際の音階は一つ一つ区切られており、規則を論理的にプログラム化できれば、AIは音楽を容易に認識でき、それを法則通り、理路整然と展開することができる。

 しかしジャズはAIにとって未踏の境地なのではないか。もちろんAI音楽の草分けのデイヴィッド・コープはAIでラグタイムを複製しているが、私のポイントは「即興」である。私はジャズには不慣れだが、なぜかジョン・コルトレーンだけはすべての録音を聴いている(彼が私の40年前、同じ日に生まれたという縁)。

 私のお気に入りは「マイ・フェイヴァリット・シングス」(まさに「私のお気に入り」!)だが、ジャズの醍醐味は一つの曲が録音ごとに違って聞こえること。最初のレコードは1961年のスタジオ録音だが、その後のライブ録音がたくさん残されている。ライブの中で私の最大のお気に入りは1963年のニューポートで収録されたもの。2007年のリマスターにより雑音が消え、音がクリアになり、左右のバランスが整ったため、50年前の演奏とは思えないほどの臨場感がある。

 全体の演奏は1961年のスタジオと変わらず、特にマッコイ・タイナーのピアノはほとんど同じだ(ただしニューポート版の迫力は圧倒的で、何度聴いても身体が震える)。しかし後半のトレーンのチャルメラによるレロレロ(ソプラノサックスによるトレモロのこと)の部分はスタジオ版にはない彼の即興。

 この録音はもう何十回(百にはまだいかないが)と聴いているが、その度に「これこそAIにしてほしいこと」と思ってしまう。クラシックではすでに確定した楽譜があり、コンピューターが楽譜を間違って認識することはない(近くのコップを遠くのビルと勘違いするようなことはない)。機械に楽理を学ばせておけば、AIはブルックナーのパターンとマーラーのパターンを100%の確率で区別できる。

 しかしジャズの即興演奏には楽譜も理論もない。そしてニューポートの演奏が凄いのは、コルトレーンの即興に対して、ドラムとダブルベースが的確にフォローしていること。おそらく(まったくの邪推だが)ニューポートでの演奏の際、彼らの前に楽譜台などなかっただろう。コルトレーンのトレモロは、すでにジミー・ギャリソン(DB)とロイ・ヘインズ(D)の体内に浸透しており、サックスの音を聞いただけで、というより「呼吸」で、どう先に進むかが完璧に分かっているのだろう。

 ここからは私には不明の領域だが、ジャズ界には「誰々の即興」、例えば「コルトレーンの即興」とか「マイルス・デイヴィスの即興」なんて流派でもあるのだろうか。そして「コルトレーンのモノマネ」とか「マイルスのモノマネ」なんてことがあるのだろうか。

 コルトレーンは「マイ・フェイヴァリット・シングス」(サウンド・オブ・ミュージックでジュリー・アンドリュースが歌っていた)だけでなく、「サマータイム」(ガーシュウィン)など過去の名曲をジャズにアレンジしており、さらにそこに即興を加えることで、馴染み深さと斬新さと力強さを一曲の中で同時実現した。

 私は他の曲でも「コルトレーンならどうするか」を聴きたい。だからAIに元曲と、コルトレーンのその曲のスタジオ録音と、そして同じ曲のライブ録音を読み込ませて、新しい別の曲の「コルトレーン版」を作らせたい。人間の場合はどうしても、コルトレーンのモノマネをしようとするミュージシャンの好みやクセや流儀が入ってしまうので「真正コルトレーン」にならない。しかし機械はインテリなのに忠実だから、われわれの耳にコルトレーンを生き返らせてくれる。

(月刊『時評』2022年12月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。