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森田浩之「ヒトの知能とキカイの知能」⑬

AI時代の人間

 人工知能が人間の能力を超える!それも論理的思考だけでなく、感性や嗜好までも!AIに世界中のワインを試飲させ、産地も品種も隠したまま、AIに別のワインを飲ませてみよう。AIはズバリ、そのワインの名前を言い当てる。そんなAIに「今日はこんな気分なので、こんな感じのを選んで」と頼んだら、期待以上にドンピシャのワインを持ってきてくれる。AIの世界に人間が入り込む余地はないようだ。

 心配ご無用。私は「人間とAIが競い合う」というような対立論者ではない。むしろ人間らしさが残ることで、AIと人間が助け合って共存できると楽観視している。人間にしかできないことをAIが手助けしてくれると考えたらいいだろう。そんなことを考えたのは、以下の個人的なエピソードを半年引きずっているうちに、そんな結論に達したからである。ただし、この後の話は007の最新作(半年前公開)の結末を明かすことになるから、知りたくない方は即座に次ページに飛んでいただきたい。

 昨秋『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観て、結末に衝撃を受け、しばらく発熱状態だった(コロナに感染したかと勘違いしたほど)。半年たったし、ユーチューブには映像の断片が流れているので書いてしまうと、少年の頃から映画ファンだった私と共に生きてきたボンドが死んだのである。ナノボットを注入され、妻と娘に会えば殺してしまうため、味方が打ち上げたミサイルに自ら身をさらし、爆死したのである。ダニエル・クレイグがミサイルで破壊されるシーンには今でも心が揺さぶられる。

 ラストシーンでM役のレイフ・ファインズがジャック・ロンドンの詩を読み上げる。「人間のまっとうな役目は生きることであって、単に存在することではない。ただ人生を引き延ばすだけのために、日々を無駄に過ごしてはならない。自分の時間を有効に使うのだ。」

 55年ほど生きてきて、初めて「何かが終わる」ことの意味を感じた(「知った」と言えるほどではない)。一つの時代が終わったのだ。007の第1作『ドクター・ノオ』は1962年だから、私の生まれる前。最初に劇場で見たのは、中学生の時の『ムーンレイカー』(ボンドが宇宙に行く必要はなかったと思うけど)。以後、すべての新作は公開と同時に劇場で観た。

 映画から遠ざかったのはピアース・ブロスナン最終作が公開された2002年の後。それでも『スカイフォール』までは忠実なファンだった。とはいえ、ここは生粋の007マニアとは違って、理想のボンド像はショーン・コネリーではなく、ロジャー・ムーア。余裕綽々で、絶対に深刻にならないブリティッシュ・センス・オブ・ユーモアに満ちていて、戦っても、髪型もスーツも乱れない。顔を汚すことがなく、額から血など出さず、どんな恐い相手でも、眉を上げて、ニコッと微笑むのが真のジェームズ・ボンドだ。

 新シリーズが戻ってくるかもしれないが、私の映画人生の一つの区切りとなる大事件だった。私にとっての心地よい想い出が葬り去られたのだ。今でも「殺さなければならなかったのか」と見えない相手(映画製作者たち)に空虚な問いを投げかけてみるが、「これしかなかったのだろう」と自分を慰めている。

 私は哲学を学んできたから、こんな時、徹底的に自問自答する。このような感覚をどう表現したらよいのか? 暫定的な答えは「郷愁」である。何も、過去が素晴らしい、と失われた時にすがるつもりはない。だから明確な言葉にならないのだが、自分が生きてきた時代が終わるということの寂しさと共に、懐かしさを抱き、一方でそんな出来事を同時代的に直接体験できたことに満足している。

 結局、その人がその人であるって、どういうことか? 一つの答えは「記憶」である。哲学的には「人格の同一性」(パーソナル・アイデンティティー)というが、要するに、昔の自分と今の自分を結び付けるものは何かという問いである。

 記憶の集結が今の自分だが、それは自分が見てきた自分、自分と他人との関係史、自分が生きてきた社会環境、それらの複雑な相互作用が時間的に積み重なって、ただし脳の記憶容量の限界から、それらの集積が圧縮されて、だから一部はデフォルメされて(部分的に押し潰される感じ)、自分史を形作る(記憶違いはここから生じる)。その自分史を生きてきた人こそが自分であり、自分を自分たらしめる根拠である。

 コンピューターでこれを再現するには、たくさんのデータを読み込ませればいいが、それは設計者である人間が抜き出してきた諸事実の束でしかなく、主体であるAIがその場に生き、出来事を直接体験して切り取った環境情報ではない。だから機械に「郷愁」はない。

 人間と機械の共存は、人間の感じる郷愁を機械が助けることであろう。記憶の片隅にあるが、明確には思い出せない事実を検索する際、頭のいいAIがアシスタントとして活躍してくれる。AIは恐れるべき競合者ではなく、頼れる友になる。

(月刊『時評』2022年4月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。