2023/07/06
ひと頃に比べて、AI脅威論を見なくなった。人工知能が自律的に発達して、創造者である人間を反対に支配するというシナリオだ。脅威論が消えた要因の一つは、期待したほどAIが発達していないことにあり、これについては何度も語ってきた。しかしさらに大きな理由はAIを超えてICT(情報通信技術)の進歩が速すぎて、AIの存在感が薄くなってしまったことである。
通常、AIはセンサーから集められた膨大な情報を処理するために使われる。コロナ対策で言えば、人の動きを、それぞれが所有するスマートフォンの位置情報を集め、それを解析することで、パターン化しようということである。一つの通信事業者から(利用者の同意を得て)位置情報を提供してもらったとしても、数千万人のデータが手に入る。このビッグデータと感染が起こった場所の情報をAIに読み込ませれば、どういう人の動きの時に、どんな場面で感染が起こりやすいかが解明できる。
今では「デジタルトランスフォーメーション」という概念に飲み込まれてしまったが、以前「IoT(モノのインターネット)」と呼ばれていたのは、センサーで膨大なデータを集めて、そこにパターンを見つけ出すことである。当時のキーワードは「IoT/ビッグデータ/AI」で、例えば人が自動車を運転している最中に、車体に設置された多数のセンサーが運転者の操作、他の車の動き、歩行者の流れ、自転車の習性など果てしない量の情報を集めて、どういう時に安全に運転できて、どういう時に事故になるかを分析する。AIがそれをパターン化できれば、事故のないクルマ社会が実現する。
これが語られていた時はAIへの期待が大きかったが、今では通信技術(CT)を基礎とした情報処理(IT)を合わせた情報通信技術(ICT)の下位分野に位置づけられている。AI単独で世界を変えるのではなく、AIはICTの一部として、暮らしと経済の変革に貢献するという立場になった。
ICTの発展はこれだけではない。昨年11月にフェイスブックが社名を「メタ」に変更した(SNSのフェイスブックはそのまま)。これは同社が「メタバース」を基軸とした事業に転換する決意表明である。メタバースは「超越」を意味するメタと「宇宙」を意味するユニバースの合成語で、仮想空間のこと。日本ではゲームの延長と見られているが、メタバースは生活のあらゆる側面で、人間の代わりにアバター(分身)が買い物や会議やエンターテインメントに関わることを想定している。これではAIの影が薄くなるのも無理はない。
われわれの世代(50代より上)には「そんなのあり得ない」と思われるだろうが、ロールプレイングゲームで育った世代には、それほど違和感なく受け入れられるだろう。物理空間を基礎に見ると、私はコントローラーを使ってスーパーマリオを「操作」しているが、情報空間では「私=スーパーマリオ」であり、分身であるマリオが私「として」通信の世界を縦横無尽に駆け巡っている。
コロナによりリモートワークが奨励されて、ズームやチームズによる会議が増えているが、これからはゴーグルのような「ヘッドストラップ」を装着し、フェイスブック(メタ)のVR(ヴァーチャルリアリティ)ツール「ホライゾン・ワークルームス」を使って、アバター同士が会話することになる。
ズームで会議する時なら、私は招待を受けてログインする。私の生身の姿がパソコンの画面上に映し出されて、我が家の冴えない背景までバッチリ見えてしまう。私の場合はすぐにパワーポイントの資料を画像共有するが、話だけの人は人間の姿のまま相手のパソコンの画面に投影される。
メタバース上では、会議室にいるのは私の分身であるアバター、ここではスーパーマリオである。話し相手はもちろん人間だが、メタバース上ではルイージとして参加している。私であるマリオは仮想会議室でルイージに向かって説明をするが、その際ホワイトボードやパワポ資料もメタバースにあり、私はヘッドストラップを身に着けた瞬間から、日常的に手を動かすのと同じことをすれば、メタバース内のホワイトボードに話の要点が活字として表示される。
通信技術上の専門的な話なので私には不明だが、ズームを使っていると、相手の動作にしても、聞こえてくる音声にしても、多少の遅延があり、そのため話を切り出すタイミングが掴みづらく、両者が沈黙してしまうことがある。しかしメタバースでは、少なくとも人間が感知できる程度では遅延がないため、やり取りがスムーズで、タイミング的には違和感はない。アバター同士であることに慣れれば、わざわざ物理空間を移動して会いに行くよりは、ずっと便利なツールになる。
映画『マトリックス』は長い間AI脅威論の見本として参照されてきたが、これからはメタバースの比喩として復活する(映画自体もレザレクト[復活]した!)。私はネオとして情報空間を跳躍する。
(月刊『時評』2022年2月号掲載)