お問い合わせはこちら

森田浩之「ヒトの知能とキカイの知能」⑪

AIコンパニオンの難易度

「人工知能」という言葉はテレビや新聞で、数日に一度は見聞きするのではないかと思うが、それが本当の人工知能かどうかは定かでない。初期の頃は迷惑メールを仕分けするのがAIの任務だったが、そのうちコンピューター・プログラムが高度化したものに過ぎなくなる。一方、画像や音声の認識は真のAIで、これはまだ発展途上だ。

 われわれがGメールを使ってやり取りする時、メールの中身はグーグルが毎回スキャンしている。その中に迷惑メールに頻繁に出てくる言葉(「無料」「出会い」)が含まれていると、グーグルはそれを「迷惑メール」のボックスに入れてくれる。

 これは当初、人間が読んで仕分けするのと同じくらい高度な能力が求められると信じられていたためAIとされていたが、結局は迷惑メール特有の用語を探すだけの検索機能と変わらないことが分かり、今ではAIと見られていない。

 これとは比較にならないほど高度な技術を必要とするのが画像と音声の認識である。人間ならバラ、チューリップ、シクラメンなど何種類かの花を知っていれば、桜やアジサイを見ても、色・形・大きさが違うにもかかわらず「花」と認識できる。でも人間にとっては簡単なことを機械に実行させることは、途方もなく大変だ。加えて、人間の脳はたった数ワットの電力で済むのに、画像認識するコンピューターはオフィスビル1棟分を照らすほどの電力を食う。

 音声認識も同様の難易度だが、これが実現すれば同時通訳者は失業する。同時通訳AIが難しいのは、まず音声を正確に聞き取り、次に適切な文章に翻訳するという2段階でウルトラCを成し遂げなければならないからだ。すでにグーグルなどはネット上に無料の翻訳AIを公開しているが、単に翻訳することと洗練された訳文にすることとの間にこれほど大きな差があるのかと、使うたびに驚いている。翻訳AIがしていることは定型の英語を定型の日本語に写しているに過ぎず、「意味」を読み取った上で、単語や節の順序を入れ替えるなどの創造的な文作りには至っていない。しかし私はこれも時間の問題で解決できると思う。

 その上を行くのが「AIコンパニオン」である。これは人間の話し相手になるAIのことだが、画像・音声認識とは比べられないほど難しい。高齢化社会になることを考えると、実現できれば人間の心を癒す存在になってくれるかもしれない。

 とはいえ、先に答えを言えば、私はしばらくは無理だと見ている。そして研究を続ける価値はあるけれども、期待しない方がいいし、強引な実用化はしない方がいいと考えている。というのも、自動運転の際の視覚AIほどではないが(交通事故!)、AIコンパニオンの失敗作は人間に害を与えるからだ。AIには「できること」と「できないこと」があり、不必要に後者を推し進めることは無駄であり、有害である。肝心なのは使い方で、用途に応じたAIを技術的に可能な範囲で開発していくべきだろう。

 そんなことを考えたのは、人に道を聞かれたことがきっかけである。早朝ウォーキングをしていると、急に自動車が近寄ってきて、血相を変えた運転手が助手席のウインドーを開けて「近くにガソリンスタンドはありませんか?」と尋ねてきた。私は土地勘はあるけど運転はしないので、すぐには思いつかなかった(確かに、最近減った気がする)。運転手は「今、~から来たんですけど」とそこから3キロくらいの場所の名前を言う。私はてっきり、その人がその場所の住人と勘違いして、やっと思い出したガソリンスタンドの場所を教えるために「そこを左に曲がると~駅があり、突き当りを右に曲がると…通りに出るので、そこをまた右折して1キロくらいで左に見えます」と教えた。

 しかし相手は〝まったく理解できない〟という顔をしている。そういえば、さっきから言葉の端々に「遠くから来たんですけど」という文章が挟まれている。そしてとうとう「私~県から来ているんです」と。最初に言った、そこから3キロの地名は「今、そこから来た」ということだけを意味していて、実際はここから55キロ(グーグルで検索してみた)の別の県の住人だったのである。実際、走り去った車のナンバーはその県内のものだった。

 人間は初対面の人に対して、いっぺんに必要な情報を提供できるのだろうか。そうでない場合、聞き手は話し手の状況を理解できるのだろうか。私はその後しばらく「なぜこの土地に初めて来た人の立場になって考えられなかったのか」と自問自答した(答:ワクチン接種後の倦怠感で頭が朦朧としていた)。

 この場面はAI同士が会話していたようなものだ。聞き手が理解できる話し方をせず、話し手の言葉を文字通りに受け取って、相手の背景や文脈を推測したり想像しないまま会話していたに過ぎない。人間なら経験から空隙を穴埋めするが、それができないAIと話している高齢者はいつかブチ切れるだろう。AIコンパニオンはまだ先の話ようだ。

(月刊『時評』2021年12月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。