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森田浩之「ヒトの知能とキカイの知能」①

AI事始め

pixabay
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 人工知能(Artificial Intelligence)」はアメリカの数学者ジョン・マッカーシーによって命名された。彼は1956年にダートマス大学でワークショップを開催したいと考えて、ロックフェラー財団に資金を出してもらうために提案書を書いた。ここに「人工知能」が登場するが、同時にこの文書はその後のAI研究の指針にもなる。

 これほど「AI」という言葉を日頃から目にするのに、誰も正確な定義ができないのには、いくつか理由がある。一つは、私も含めコンピューターの仕組みを理解している人が少ないことであろう。コンピューターにはそれなりの限界があり、できることとできないことがある。人工知能はコンピューターにできることの範囲内で実現できる知能のことだから、機械の知能がイコール人間の知能ということはない。

 しかしもう一つ、AIを定義できない理由があるが、それは私のような文系出身者でも人工知能を勉強した方がいい理由と重なる。それはまさに、そもそも「人間の知能」が正確に定義できていないことである。

 提案書に戻ると、機械が人間の知能を再現できるように、学習とは何かや、その他の知能のいろいろな側面を説明する必要があると書いてある。まずここで人間の知能が定義されていない。具体的にはコンピューターの自動化、言語理解、脳の仕組み、計算理論、機械の自己改善、抽象化が課題として挙げられているが、これはコンピューターにできる範囲内での知能であって、その枠を外したところの人間の知能については語られていない。

 ここに人工知能が理系/文系を超えた重要課題であることの意義が表われている。まず「工学的課題」としてのコンピューター・サイエンスがある。ここでは機械の性能を引き上げていくことで、(未定義のままだが)人間の知能を再現しようとする。個別には処理速度の改善などのハードウエア問題と、アルゴリズムの高度化というソフトウエア問題がある。

 次に人間の知能を扱う以上、人間の思考について研究しなければならない。これは認知科学、心理学、言語学、哲学の分野である。知能と言うからには、脳で行われていることを取り上げることになるが、われわれが日常的にしていることを図式化すると「知覚」「判断」「決定」に分けられるであろう(最後に身体を伴う「行動」が来る)。

 人間は五感を用いて周りの状況を「知覚」して、取り込んだ情報から事態の性格と意味を「判断」する段階に進む。人間は環境との間で情報を交換しているだけでなく、生きるために対象に物理的な変化を引き起こさなければならないから、どう行動するかを「決定」しなければならない。

 しかし同じくらい重要なこととして、誰かが「果たして、そういう機械が必要なのか」と問うてもいいのではないだろうか。何でもできる「汎用AI」と個別課題に特化する「専門AI」について、どちらが必要なのかという議論があるが、これを突き詰めると社会学的な問いに発展する。

 再び提案書に戻ると、マッカーシーは学習、言語、脳、抽象能力など多岐に渡る課題を列挙しているが、一部は人間の知能と言えるものの、一部は機械ができる範囲に限定された話になっている。同じダートマス会議に参加していたアレン・ニューウェルとハーバート・サイモンは数学の定理を論証するプログラムを開発したが、これを「人間の知能」と言っていいのだろうか。

 一方で、ダートマス会議の主催者の一人でもあったマーヴィン・ミンスキーは「簡単なことこそ難しい」という格言を残している。「見る」「聞く」「話す」のような、定理の論証ができない私でも容易にこなせることを機械に再現させることは、現在でも難儀である。

 ここまで学問の方からAIにアプローチしてきたが、反対に日常生活に思いを馳せてみよう。私は今、カフェにいるとする。思わず耳を傾けてしまうほど美しい音楽が流れてきた。何の曲か知りたい。昔ならお店の人を呼んで教えてもらうところだが、今ならアンドロイドならグーグル・アシスタントを、iPhoneならSiriを立ち上げれば、機械がその曲を教えてくれる。

 ここで起こっているのは、どんなことだろうか。まず私のスマートフォンが音楽を信号化する。そのパターンは回線を通じてグーグルかアップルのコンピューターに到達する。コンピューターは瞬時にそのパターンに合致する曲をデータベースかネットから拾ってきて、答えを私のスマートフォンの画面に送り返してくれる。AIと呼べるのはこのパターン認識のところである。

 AIという言葉が混乱を招いているのは、知能が定義されていないからであるが、さらには「人間の知能の再現」と言いつつ、実際には人間に「できない」ことが行われているためである。それほど音楽のパターン認識は難しい。まずは「知能とは何か」を考えることから始めよう。AIは理系に限定していてはもったいない。人間からのアプローチも必要である。


(月刊『時評』2020年4月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。