ガバメントクラウドを端緒に政府が進める今回の自治体システム標準化では、日本中の自治体が当事者となる。今回は人口48万人で長い歴史と文化を持ち、独自のシステム構築も進めてきた西宮市に注目し、デジタル化の活用に関する市政方針や、国の共有型システムと整合を図るに当たっての展望について、市の「DX推進指針」を発表した石井市長に聞いた。(本誌:重田瑞穂)
「変革の目的を見出せば
DXは内発的パワーで進む」
兵庫県西宮市長
石井 登志郎
DXで目指す姿を明示
――貴市の全体像はどんな町でしょうか。
石井 西宮市は日本の中核市の一つで、東京で言えば世田谷区のような閑静な住宅地として歴史を紡いできました。谷崎潤一郎が旧家の四姉妹の人生を描いた著名な小説『細雪』の舞台にもなり、物語の場面で大阪湾に注ぐ夙川(しゅくがわ)沿いを姉妹が歩いていく風雅な日本情緒などはまさに、大阪と神戸の間で“阪神間”と呼ばれる地域にあって住民が持つ心の風景に重なるものだと思います。
六甲山系から流れてきて当市に湧出する伏流水は“宮水”と呼ばれ、日本酒造りに適した名水だと江戸時代から大事に守られてきました。風土や利便性も良質な住宅地を維持できる要因ですが、1963年に石油コンビナート誘致問題をめぐる論争を経て「文教住宅都市」を宣言した市民たちの矜持が今も強く根付いた町です。
――デジタル化に関する市政方針を教えてください。
石井 私は市長になる前から、当市でのDX(デジタル・トランスフォーメーション)は単なる効率化やコスト削減のためにとどまるものではなく、文教住宅都市としての新たな価値を生み出すことで真価が発揮されると捉えていました。
就任直後、18年に着手した「行政経営改革」を実現する方法として策定したのが「西宮市DX推進指針」です。この改革では“OPEN”で、“SMART”で、“RELIABLE”な行政を目指しており、それぞれ意味しているのは住民参画や手続きにおいて情報へすぐアクセスできる“OPEN”、“SMART”は行政の内部変革による業務の合理化、“RELIABLE”は信頼の置ける行政として細かなミスが起こらない役所。これらが当市がDXによって叶えたい姿なのです。
――まず目的を示される点に市長のこだわりを感じます。
石井 具体的な目的をビジョンとしてはっきり示すことこそ、DXを進めるために首長が果たすべき役割だと思っています。私があれをしろ、これもしろと細かく職員に指示するばかりだと、次第に目につくものだけ、市長から言われたものだけに施策が偏ってしまうでしょう。それに、人手不足で目の前の業務に追われ奮闘する部署でも、目的が明確なら“人的ミスを予防する仕組み”など身近なことからICT化を始められますから。肝心なのは現場が主体的に成功体験を積み上げることです。
――西宮市DX推進指針の特徴をご紹介ください。
石井 この指針では4分野から成る“DXビジョン”を立て、令和10年度末を目途に目指す姿を具体的にデザインしました。中でも教育環境に力を入れている点が当市の特色でしょう。今般のコロナ禍では政府も1人1台ずつパソコンやタブレット端末の普及を断行し、オンライン授業など方法論が注目を浴びましたが、当市ではさらに幅広く教育環境の向上をと考えています。
文部科学省が不登校やいじめなどの問題に取り組んだ委託事業 「子どもみんなプロジェクト」でも好事例として紹介していただきましたが、当市では武庫川女子大学の協力を得て児童の問題を統計的アプローチで発見する調査分析手法を開発しました。名称は「こころん・サーモ」。心の体温計を意味しています。例えば“いつでもお話できる友達はいますか”というような設問に、児童がイエス・ノーを複数段階から選択して回答します。
最初は紙への記入方式で始め、今ではこれをデータ化して分析しやすくしました。既に3校へ試験導入し、今秋は当市の小学校5年生から中学生の全員に実施できるよう進めています。
ICTで人手不足を解決できる
――熟練職人の暗黙知をデータ化する技術が近年注目されていますが、教育にも。
石井 これから社会全体で生産年齢人口の急減による人手不足が懸念されていますが、教育現場では既に50代以上の教諭の退職に伴い20代の若い先生が占める比率が上がってきました。長年の経験を頼りにする教育手法を生かしつつデータ分析で補えば、子どもの重要な兆しを見逃がさないために役に立つはずです。
2年前に当市の姉妹都市であるアメリカ・ワシントン州のスポーケン市へ視察に行き、現地の教育委員長と意見交換をしました。あちらでは問題のある子どもが退学処分を受けることが珍しくないため、どのような事前の兆候が退学につながってきたかという過去の事例から要注意のサインを研究して予防的対応をする手法が成功しています。
私は、こうした技術が学びの芽を育むプロセスにも応用できると思いました。学校には児童一人ひとりの学びの履歴があるので、将来的には児童の強みをどう伸ばしていけるかを、そうした学びの履歴から分析できるようになればと。
――人手不足も背景にあってか、今般のコロナ禍では行政デジタル化への対応が遅いとの指摘がありました。
石井 コロナ禍で支給された特別定額給付金でも、紙の通知を出し紙の申請書が返送されるステップを踏まねばならず、ニーズに対して行政のデジタル化が不十分であるのは明らかでした。他方、実現させたかった施策が一気呵成に進んだ期間でもあり、実に“必要は発明の母”だと実感を得ています。
例えば小学校ではこれまで児童の欠席時、近所の別の児童に連絡帳を届けてもらっていましたが、コロナ禍で当市では急きょ予算を組み、オンラインで完結する欠席連絡システムを導入しました。また、コロナ対応で業務がひっ迫する保健所業務についてもデジタル化を進めました。第4波までは患者の記録を紙で管理しており、当市のコロナ患者は10月下旬段階で累計8500人近くにも達する中、保健所では患者の状況確認およびその記録が職員の膨大な負担になっていました。そこで患者の発生から療養終了までを把握するシステムを構築し、さらに患者にパルスオキシメーターを配布して健康状態をオンライン申告できる仕組みをつくったところ業務量が激減しました。
その他、容態の悪化した患者に往診を実施する際の医療従事者との情報共有でもシステムを導入し、迅速な対応で大きな効果を発揮しました。これらの仕組みは他市にもおすすめしたいほどです。
庁内の活性化を推進力に
――行政はデジタル人材をどう確保すべきでしょうか。
石井 私は今いる人材の活用に大きな可能性を見ています。実は上述した感染者の予後把握システムも、別の部署から保健所へ応援に行った職員が偶然ICT利活用に詳しくて、サイボウズ社の業務アプリ構築サービス「kintone」を利用して突貫で作ってくれたものなのです。
今後は平素から市役所のどの部署にも“kintoneを操作できる程度”のスキルを持った職員がいるようにするため、DX人材育成指針の策定を検討中です。用途に見合ったシステムを作るためには現場で必要性を感じとれる部署自身が主体となって開発やその発注を行うことが理想ですが、操作ができればどういうものを作りたいか示せます。この程度なら既存人材の育成が十分に可能なはずですし、それ以上の専門的技術を役所のみんなが習得する必要はありません。
手始めに実地的な課題解決に当たりながら育成を行おうと、市長直轄のプロジェクトとして庁内から公募で若手有志職員を10余名集め、横断的なチームでタスクフォースを構成しました。原課所属のまま任命し、DXへ向けた課題について部局の垣根を越えた議論をしてもらっており非常に庁内を活性化しています。例えば「押印の廃止」にも当市ではこのタスクフォースを中心に取り組み、現在70%以上の手続について、廃止が決定しました。
――内部の活性化を重要視されていますね。
石井 DXには職員から柔軟な発想を引き出すために庁内を活性化することが不可欠だと確信しています。役所が硬直化してしまう問題の原因は“縦割り”です。
私は衆議院議員だった時に民主党政権下で行われた「事業仕分け」を渦中で見てきて、国益に資する側面もあった一方、この施策の欠点は縦割りの行政を縦割りのまま効率化しようとしたために視野が狭くなりがちだったことだと考えるようになりました。
役所の常として財政状況への懸念から「新たな事業を始める場合はスクラップ&ビルドが原則」と言われますが、もうこれ以上、安易にスクラップできるような事業は見当たりません。ただ成り立ちは違っても似た作業を要する事業は多く、工夫の余地はあります。代わりとして新たに私が今年の予算編成方針で打ち出したのは「インテグレート&インプルーブ(統合と改善)」。
スクラップからインテグレートに進化しても、行政が仕事をする上では手段であって目的ではないのは同じです。例えば当市は48万人の住民、20万戸に対して、およそ年間380万通もの郵便を送っており、郵便料金が高額化するにつれてコスト削減の必要性も高まっていますが、手段ありきで安直に統合したら通知時期がずれて困ってしまう住民も出るかもしれません。だから、私は職員へのメッセージとして「市役所へ来たくないのに来なければならない市民を減らす」ことが合理化を通じたミッションだと位置づけました。市民に手間をかけさせることを改善しなくてはいけないという意味です。
手段の先にある目的を示したことで、そもそも手続き自体を統合できないかといった本質的な検討が進むようになっています。例えば最近では、生まれてすぐに必要になる0歳児の乳幼児等医療費受給者証の交付申請について、これまで紙の申請書を提出する必要がありましたが、電子申請での交付を可能にしました。市民の手間を軽減する過程で郵便料金などのコスト削減にもつながるわけです。
政府のガバメントクラウドへの不安と期待
――国が進める自治体システム標準化施策についてのお考えは。
石井 自治体の基幹業務におけるシステムをきちんと揃えていくこともクラウドへのデータ移行も望ましい方向ではあります。クラウド社会へ向かう潮流は強く、もう全てのシステムを独自に準備したいとこだわる自治体はないはず。ただ、これから標準化できたと言えるまでに要する作業がどれだけ困難なことか、まだ分かりません。
かつて自治体がそれぞれシステムを構築し始めた時点で、国がスタンダードを作ってしまえば簡単だったでしょう。衆議院議員時代に台湾へ視察に訪れた際、当局では住民のパスポート番号や保険証番号などを統一していることもあって行政手続きがスムーズだったのですが、そのシステム構築は日本企業によるものと聞いて唖然としました。わが国の技術上とっくの昔にシステム標準化が可能になっていたのに、1700超の自治体が何十年も独自に運用するままできたんだ、と。
当市では1960年の段階で「電算部門」を立ち上げて電子計算機の導入を皮切りに情報化を進め、62年3月に市民税のシステムを稼働させています。今ではクラウドも活用していますし、パッケージソフトの品質が向上したため業務の特性に応じて選択的に取り入れてきた一方、独自構築したシステムにはまだ現役で活躍中のものもあるなど用途ごとに使い分けており、庁舎内にサーバーも持っています。
今後政府が作るガバメントクラウドへ、さらに未来ではもしかしたらナショナルスタンダードへと、時代を追うごとに自治体システムの形態を移行していくこと自体は国民にとって必要な施策ですが、自治体のオリジナリティや自由度を妨げる制度を作ってしまうことは避けるべきです。市民に提供しているサービスがシステム上の都合でできなくなると困っちゃうんですよ。
基盤システムの構築や改変となれば、どうしてもアウトソースしないと自治体職員だけではできません。自治体同士でITベンダーの取り合いをしないよう、期間と達成すべき項目に一定の幅は欠かせないと思います。
直近の“絶対にやる”ことがどこまでの部分か明らかになるのはこれからですが、自治体が民間システムを導入している場合、長期なケースだと10年程度のスパンで契約を結んでいることが珍しくありません。これももったいない結果に陥らないように活用しながら、現場が悲鳴を上げることのないようになだらかに進めていただきたい。そういった意見を西宮市としても「中核市市長会」を通じて国へ投げかけました。関係省庁が今後どういう采配をしていくかを見守っているところです。
――重要な過渡期ですね。
石井 しかし自治体システムの標準化によるデータ連携が実現すれば、住民にとって大きなメリットが見込めると期待もしています。構築さえできれば単純件数が50万から100万、200万へと増えても難なく管理できることがデジタル化の利点。
例えば図書館の蔵書管理システムでデータ連携できれば、われわれ阪神間地域にある7市の住民が相互に読みたい本を探せるようになるなど展望が広がります。いずれ1700の自治体で連携できたらさらなる未知の施策も生まれそうですが、それはまだ将来の姿。足元では住民のニーズを見極めながら、隣接する自治体同士など協働できるところから連携していくしかありません。
当市と隣接する尼崎市とで、かねてから「情報システムの連携・共同利用に関する協定」の枠組みを作っています。尼崎市が年に数千万円規模の費用を要する民間のクラウドサーバーの利用を検討していた財務会計システムを、西宮市が自前で持っているサーバーの空いているスペースに移行しました。また、電子申請システムのための共同プラットフォームも構築しました。
また、他にも行政が家庭や児童の事案について受けた相談のデータ管理用に使うソフトウェアがあるのですが、尼崎市と当市では別の企業のソフトウェアを導入していたため、新たに発注しない限り連携はできないと判明しました。今はまだ両市とも児童相談所を持っていませんが、いずれは設置することになるでしょう。それまでにこの問題も解決できればと考えています。
自治体データ活用の可能性
――民間事業者との連携はいかがですか。
石井 将来的には日常生活から得られる情報をデータ化して、その蓄積から得た気づきを市政の参考にすることが選択肢になっていくと良いですね。市民の健康向上のために生かせそうなデータも多くあります。
例えば特定健診の受診状況と糖尿病罹患時期をデータ分析すれば相関性が明らかになるはず。でも健診データを市から民間に預けることは非常にセンシティブであり、現在は世間のデジタル化社会としての熟度を考えると、現実的に議論できる段階に達するにはもっと論点整理が必要です。
当市ではまず最近ヤフー株式会社と連携協定を結び、個人情報のないビッグデータから活用を始めました。人流の傾向を数字で確認したり、検索データを提供してもらったりして、市民が求めていることを推測し、感染症予防対策や情報発信など各課の施策に生かしています。
今の段階で市側から提供しているデータは一切ないのですが、それでも不安視する声として「市民の情報を民間に売り渡すのか」と誤解を受けることがありますから、今後も丁寧に説明を尽くしていかねばなりません。
これまでのデジタル化を振り返ると、やはり個人データが守られているという安心感を市民に持ってもらえた部分ほど円滑に進んだと思います。学校に導入した「こころん・サーモ」のデータは取り出しても個人名や校名は識別できませんし、データを格納しているのは庁舎内に設置したサーバー内であり、校務用のイントラネットにだけつながる仕組みなので、物理的に守られていると理解を得られたのです。DX推進において欠かせない、住民の理解と協力を得るためにもセキュリティ施策は絶対に軽視できません。
――住民理解はデジタル化社会の進展に直結しますね。
石井 やはり市民にとって「そういうことなら便利になるから良いよね」と納得してもらえる分水嶺がどこなのかを最優先に考えていかなければ。試してみたら格段に楽になった、コストが抑えられた、と好事例を作りながら住民と共に進んでいくしかありません。どの果実をとりたいか、は市民が主体となって行うべき選択だからです。
先ほど市政のDXでは庁内の活性化が要諦という話をしましたが、これは国と自治体の関係にも、市と住民の関係にも全く同じことが言えます。方法ありきで型を押し付けるのではなく、明確な未来像を示した上で実行に際しては内発的なエネルギーを主役にしていくことが、デジタル社会実現のために行政が担うべき責務であり、結局はそれが早道になるのではないでしょうか。
(本記事は、月刊『時評』2021年12月号掲載の記事をベースにしております)