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【時事評論】統治システムの再生と人材確保

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政官関係の見直しこそが政治の責任だ

 人事院は4月16日、2021年度の国家公務員採用試験の申込状況を発表した。

 中央府省庁の幹部候補である総合職の申込者数は、1万4310人で、前年度比10・5パーセントの減少となった。5年連続の減少であり、減少率は過去最大だ。いまや、総合職試験の競争倍率は1ケタとなっており、かつての狭き門ではない。

 また、退職する若手官僚も急増している。若手官僚の7人に1人が退職を希望しているとの調査結果もある。

 こうした状況は、単なる「人手不足」ではなく、官僚の「質的な劣化」につながる。

 内閣人事局では長時間労働の是正に取り組む姿勢を示している。また、自民党行政改革推進本部は「霞が関崩壊」の危機を指摘し、職場環境の改善に特化した予算を創設するよう求める提言案をまとめた。

 殺人的な長時間労働と超過勤務手当の未払い(サービス残業)がまかり通ってきた状況を改善すべきことは当然だ。

 しかし、官僚の人材劣化は、労働環境だけが理由ではなく、官僚の働き方や処遇の問題を改善するだけでは解決しない。

 むしろ、政治と行政を含むわが国の統治システム全体の在り方が根本的な問題だとの認識に立って対応を進める必要がある。

 「悪貨は良貨を駆逐する」という(グレシャムの法則)。

 経済学における法則として有名だが、古代ギリシアのアリストパネスの喜劇「蛙」に「良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」というセリフがある。

 古今東西、人材についても「悪貨は良貨を駆逐する」のである。

 現代日本の統治システムを虚心坦懐に見れば、国家・国民のために求めるべき人材 が十分に確保されているとは思えないが、その要因の一つが、まさにこの「悪貨は良貨を駆逐する」という法則ではないか。

 政治家を見れば、選挙で賄賂をばらまくような者が法務大臣まで登りつめる。コロナ禍の中、国民に多大な負担と不自由を強いながら自らは銀座で深夜まで酒を飲む。

 官僚を見れば、コロナ禍の中で大宴会を開催してクラスターを発生させる。所管する事業者から過大な接待を受けて、国会で身を小さくして答弁に立たされる。

 そして、多くの者が潔くない言い訳を口にし、逃げ切りを図る。

 他方で、彼らが担う統治システムは、今般の新型コロナ対策をめぐるドタバタを見ても分かるように、国民の期待に十分応えるだけの機能を果たしていない。

 このような「悪貨」がはびこる状況の中で「良貨」を求めることは難しい。

 政治家を選挙で選ぶ際には「なりたい人よりならせたい人」という理想論が語られることがあるが、現代日本の選挙制度の下で、それが少なからず現実離れしていることは多くの人が認めるだろう。「選良」という言葉を聞くことも少なくなった。

 そのような現実を等閑視した「政治主導」が進められた結果、政治と行政の関係が歪められ、官僚も劣化している。

 かつては、その当否は別として「日本は政治が三流でも官僚が一流だから大丈夫」という声もあったが、「政治主導」の名の下、政治と行政の関係が歪められた結果、「政治と行政の劣化スパイラル」現象に陥り、統治システム全体の劣化が進んできた。

 そもそも、政治と行政の関係には、「政治による行政の統制」と「政治に対する行政の中立性」という二つの原理がある。

 「政治主導」の名の下に進められたのは「政治による行政の統制」強化であって、他方で「政治からの行政の中立性」はおそらくは意図的に放棄されてきた。個々の官僚の人事を通じた統制を強く打ち出したことで大量の「忖度官僚」が誕生し、「政治からの中立性」原理は忘却されている。

 また、議院内閣制の下での「政治による行政の統制」とは、当然に内閣ないしは閣僚による行政の統制であるはずだが、実際には、「与党」「政治家」という名の権力が行政に直接関わるという比較政治学的に見た奇態がわが国では当然視されている。

 こうした歪んだ状況にあって、統治システム全体において「悪貨」が「良貨」を駆逐し、人材面からの劣化が進んでいる。

 俗な言い方になるが、優秀で心ある人材から見れば、統治システムの現状は「やってられない」「そこにいたくない」ものだ。

 これまで「政治主導」というスローガンの下で放擲されてきた「政治からの行政の中立性」原理を念頭に置いて統治システム全体の在り方を整理・改善し、その一端を担う重要な存在として官僚を今一度位置付けることが、よき人材を官僚として確保するためにも必要だ。 

 官僚が「反論できない奴隷」のように扱われ、政治がそれを当然視するような統治システムでは、政治においても行政においても「良貨」が活躍するとは思われない。

 政治も行政も、ともに国家・国民のための統治システムの構成要素であり、「良貨」が求められている。

 統治システムの機能不全は、多分に人材面で「悪貨が良貨を駆逐した」結果であると率直に認め、政治と行政の「政官関係」を見直すことで「政治と行政の劣化スパイラル」を絶ち、統治システムを国家・国民のために再生することが、今、求められている政治の責任だ。
                                              (月刊『時評』2021年6月号掲載)