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【時事評論】シンクタンク「霞が関」復活へ

政と官との相互の尊重と敬意を

pixabay
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 かつて、日本の中央官庁「霞が関」は最大最高の「シンクタンク」と称されることがあった。

 行政権を担う立場から、そこで立案される政策は現実に国家の運営に直結した。

 そうした政策立案と実施を支える人材を見ても、優秀な学生諸君が高い競争率を勝ち抜いて奉職し、日々の仕事を通じて鍛えに鍛えられていた。

 彼らは、民間企業や諸外国とのフォーマル、インフォーマルなネットワークから情報を集め、的確な専門的知識を土台として分析を加え、あるべき政策を議論し、立案し、民意を代表する政治に提案していた。

 そして、何よりも、自己の職責に求められるべき「日本という国家をいかに素晴らしいものにしていくか」という責任感と使命感を強く抱き、官僚であることに矜持を持っていた。

 彼らが、今から思えば劣悪な労働環境と待遇に甘んじて、その使命に邁進できたのは、国を思う気持ちと自己の能力に対する自負があればこそであっただろう。

 優秀で清廉な官僚組織の存在は、諸外国から羨望のまなざしを向けられるほどで、日本にとっての幸福であった。

 しかし、いまや「霞が関」を担う人材をめぐっては、多くの課題が指摘されるようになっている。

 第一に、そもそもの志望者が減少しているという現実だ。

 今年5月末に最終合格者が発表された2024年度の春の国家公務員総合職試験への申込者数は1万3599人で、前年度比5・4パーセントの減少。現行の試験制度になった2012年度以降で最少の申込者数であった。その結果、競争率も約7倍で過去最低となった。

 かつてはいわば官僚育成機関としてエリートコースであった東京大学においては、「官僚を目指す人なんていない」という声すら聞かれる。

 第二に、若手中途退職者の増加だ。

 いまや、大量の中途退職が発生することを前提として、各省庁は採用を行っているのが現実である。

 こうした現状に対して、公務員試験の改革や勤務環境の改善など、多くの取り組みが進められているが、そうした取り組みによって最大最高のシンクタンク「霞が関」が復活するかどうかは、残念ながら、極めて疑わしいと言わざるを得ない。

 もちろん、処遇改善なども重要な課題ではあろうが、最大の問題は「日本をよくしたい」という情熱に「霞が関」が応えられる場ではなくなりつつあるということだ。

 この点に向き合わない限り、シンクタンク「霞が関」の復活は望み得ない。

 かつて「霞が関」が日本最大最高のシンクタンクと呼ばれた当時は、今よりもよほどブラックであったが、それでも優秀な官僚を私たちは持ち得ていた。

 それは、「霞が関」が日本をよくしたいという情熱を傾けるに足る場であったからだという基本的な点を忘れてはならない。

 翻って、現在の「霞が関」は、そのような場となっているだろうか。

 時として、御都合主義的な政策案が政治から提示され、それに反対論を示せば左遷されるかもしれないとおそれ、疑問を感じつつもその実現を図るために徹夜を続けるとなれば、優秀な若者が自分の能力を他で生かそうと思うのは当然ではないか。

 かつて城山三郎が『官僚たちの夏』で描いた世界にあった政と官のそれぞれの役割に対する相互の尊重と敬意は、もはや一部にしか残っていないように見える。

 政治は民意を体現する一方、行政は専門性を持って国家運営に当たるものであり、相互の尊重と敬意こそが、適切な国家運営には必要なはずだ。

 若くして「霞が関」を去った人々の「政治家の理不尽な要求に応えるために、官僚になったわけではない」「政治家のために働くことが国のためになるならいいが、今の政治家たちの現実を見て、官僚でいる意味はないと悟った」といった声を真摯に受け止めるべきである。

 学生の時には「官僚の立場から日本をよくしたい」と夢を語り、自らの能力を恃んで「霞が関」に奉職してきた彼らは、政治家との関係や、政治家との関係にのみ意を使う「政治的」上司に嫌気がさして、去っていったのではなかったか。

 また、そうした人々の姿を見て、学生諸君は「霞が関」を敬遠するのではないか。

 この現実から目を逸らしている限り、人事院だけが頑張ったところで、シンクタンク「霞が関」は、復活しない。

 政と官の関係は、それぞれの役割に対する相互の尊重と敬意によって規律されるべきだ。シンクタンク「霞が関」復活の出発点は、ここにある。

 かつて、官僚トップの官房副長官として7人の首相に仕えた故石原信雄氏は、「大学のトップクラスが役人にならない」「国の政策を担う官僚組織に、二流、三流の人材しか来ないようになったら、結局国家の衰退につながる」とホンネの警鐘を鳴らしたことがある。

 もちろん、官のみが国を支えるわけではないが、だからといって官が能力を低下させていいわけでもない。この警鐘の重みを受け止めて、政と官の関係を見つめ直すことが、この国のために必要ではないか。
                                                  (月刊『時評』2024年7月号掲載)