2024/06/04
異次元の少子化対策に挑戦すると、岸田総理大臣が年頭に宣言した。
今年4月には、こども家庭庁が発足し、少子化対策を含めた関連政策の企画立案・総合調整に当たることになる。
同庁の事務については、内閣府に、従来の少子化担当大臣に代わり、必置の特命担当大臣が置かれることになる。
わが国の少子化は急速に進んでおり、2022年の年間出生数はこれまでの予測よりも早期に80万人を下回り、合計特殊出生率も1・27程度となる模様だ。
このような状況を鑑みて、少子化対策をしっかりと行うべきだという問題意識は極めて健全である。
異次元の少子化対策の内容については、関係省庁等による新たな会議において3月末の取りまとめに向けて検討が進められているが、①児童手当を中心とした経済支援の拡充、②学童保育や病児保育を含む幼児教育・保育サービスの充実、③キャリアと育児の両立支援に向けた働き方改革や育児休業などの制度拡充、を柱として、関連予算を倍増させて従来の施策を拡充しようとするものだと報じられている。
しかし、このような旧来の施策を、こども家庭庁の名の下に従来の各府省担当者が寄り集まって続けるのでは、関連予算を倍増させたところで、わが国の少子化傾向を反転させることはできないだろう。
新しい酒は新しい革袋に盛れ、と言う。
奏功しなかった従来の少子化対策ではなく、本質的な課題に切り込む新たな少子化対策を打ち出し、それを生かすにふさわしい形で、新しい組織も創設されるべきだ。
それでは、旧来の政策に代わるべき真の異次元の少子化対策とは何であろうか。
まず留意すべき点は、子育て支援と少子化対策は、本来的に異なる政策であることだ。
内閣府は、統計を基とした分析により、少子化の要因として、未婚化・晩婚化と出生力の低下を繰り返し指摘している。
現在、子育てをしている方々は、こうした少子化の要因を乗り越えて実際にこどもを生み育てている方々だ。
こうした方々への支援はあってしかるべきだが(こども家庭庁への期待もそこにある)、その支援を強化すれば少子化が反転するわけでは必ずしもない。
EBPM(証拠に基づく政策立案)を掲げて少子化対策を考えるならば、未婚化・晩婚化と出生力の低下の要因に切り込む政策こそが必要だ。
この点について、短絡的に男女の出会いの機会を増やそうとか、不妊治療を援助しようといった政策があるが、これらもマクロでの少子化対策にはなり得ない。
少子化対策を考える上で直視すべき点は、わが国の中間層が下方に向けて崩壊しているという不都合な真実だ。
国民生活基礎調査(厚生労働省)によると、わが国の全世帯所得の中央値は440万円(2020年)であり、1995年の505万円から四半世紀で大きく減少している。
一般的に、このような所得の中央値の低下は、所得分布の下方シフトを意味し、中間層の衰退として理解される。
特に、いわゆる現役世代での所得の下方シフトが確認されている点は、少子化対策を考えた場合、極めて深刻だ。
かかる中間層の衰退は、生活実感としても感じられる。
小林美希のベストセラー『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』(講談社現代新書)が訴える「厳しすぎる現実」を直視するとき、未婚化・晩婚化と出生力の低下は、ある意味で当然だとしか思えない。
この中間層の衰退という少子化の根本原因に思い至らないようでは、新たな異次元の少子化対策など打ち出せるはずもないだろう。
さらに、人々の将来に向けた期待という点からは、高齢化が進む中、社会保障負担が現役世代および将来世代に大きくのしかかることがほぼ自明だという問題もある。
経済産業構造が中間層を没落させている上に、将来に向けての負担増を予測せざるを得ない状況にあって、未婚化・晩婚化と出生力の低下が見られることは、極めて合理的なことだ。
そうであるからにはそうであるからには、旧来の子育て支援策の拡充や、東京都の打ち出した18歳以下の子どもを対象とした月5千円程度の給付金などでは、少子化は止まらない。
異次元の少子化対策とは、中間層の復活と社会保障負担の見直しを柱とするものであるべきだ。
すなわち、経済と社会のシステム全体の構造転換を視野に入れる必要がある。
逆に言えば、少子化とは、現在の経済と社会全体のありように対する現役世代の抗議であることを認識すべきだ。
こうした真の意味で骨太な政策を異次元の少子化対策と呼ぶべきであり、そうした政策をしっかりと実行するためにこそ、旧来の担当者の寄せ集めではない新たな組織が必要とされるはずだ。
新しい酒を新しい革袋に盛ることができるかどうかが、日本の少子化対策の成否を決定づける。
目先のバラマキや、看板の架け替えでは、明るい未来は切り拓けない。
(月刊『時評』2023年3月号掲載)