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【時事評論】日本経済の課題を見誤るな

需要不足ではなく供給制約が課題だ

pixabay
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 政府は、デフレからの完全脱却を標榜して、また国民の生活を守ると旗を振って、令和6年度の補正予算、令和7年度の当初予算を策定した。

 令和6年度補正予算の歳出は、経済対策の実行に係る経費として13兆9433億円を計上した。

 財政投融資や特別会計を含めた「財政支出」は21・9兆円程度、民間資金も合わせた事業規模はおよそ39兆円になる見通しだという。

 一般会計支出においては、低所得者向け交付金に4908億円、電気・ガス料金負担軽減に3194億円、燃料油価格激変緩和措置に1兆324億円が充てられる。

 また、少数与党政権となっている現状においては、今後の国会審議において修正されることもあり得るが、昨年12月に閣議決定された令和7年度予算(政府原案)を見ると、一般会計の総額は、令和6年度当初予算比で2兆9698億円増の115兆5415億となっており、過去最大を更新する規模となっている。

 いま、日本経済は緩やかながら回復を続けており、巨額の財政支出は、長年にわたる金融緩和政策とあいまって、インフレを加速させる恐れもある。

 そうした認識に立ったからこそ、政府は昨年6月に決定した「骨太の方針」(「経済財政運営と改革の基本方針」)において、新型コロナウイルス対策で膨張した歳出を平時に戻すとしたはずだ。

 日本経済の課題が、需要不足にあるのであれば、ケインズの言う通りに、こうした巨額の財政支出も機動的に行うべきかもしれないが、各種のデータを見る限り、もはや日本経済はバブル状態にあって、需要不足が課題とは思われない。

 わが国の完全失業率は、このところ2パーセント台で推移しており、需要不足による失業ではなく、いわゆるミスマッチによる構造的失業率の範囲にあると思われる。

 有効求人倍率を見ても、おおむね1・2倍を超える水準で推移しており、実際にも人手不足を感じている現場は多い。

 こうした状況にあって、労働市場は機能しており、実際に働く人々の時給も増加している(人々の所得が増加しない要因は、マクロベースで見る限り、労働時間の急速な減少である)。

 他方で、わが国の「労働力のベース」は「使い切り状態」といっていいだろう。

 そもそも少子高齢化の影響で労働力人口自体が減少している一方で、女性や高齢者の労働参加が急拡大してきたが、すでにそれも限界に近づいている。

 女性についてみると(2022年)、15歳から64歳の就業率は72・4パーセントであり、米国の66・5パーセント、フランスの65・6パーセントを超えている。

 また、65歳から69歳の男性の就業率は(2022年)、日本が61・0パーセント、米国が37・6パーセント、フランスが11・8パーセント、などとなっており、日本の高齢者の就業率は国際的に見ても突出して高い。

 このように、すでに女性や高齢者の労働参加は、国際的にみても高い水準となっており、さらなる拡大には限界がある。

 外国人労働者についても、このところの円安もあって、日本で働こうという外国人がどれほど存在するか疑問が残るところであり、実際のところ、「安い日本」に外国人が遊びに来ている一方で、日本から海外へ出稼ぎに行く人々がいるのが現実だ。

 ここに浮かびあがってくる日本経済の課題は、需要不足ではなく供給制約である。

 その克服のために、デジタル技術の活用やロボットの活用などを進める必要があるが、高齢化が進む日本においては、労働集約的な医療や介護といった分野での需要が拡大しており、DXだ、AIだ、といっても解決できない部分が大きい。

 こうした状況にあって、いかに日本経済の供給制約を乗り越えるか。

 一つの処方箋は、産業構造の大胆な変化を進めることだろう。

 例えば、高齢化に伴って拡大する労働集約的産業に人手を確保するためには、移民政策を採用しないのであれば、生産性が相対的に低い他の労働集約的産業を縮小させるほかに解はない。

 ところが、近時の政府の政策は、苦しむ産業(あるいは個人の事業)を助ける現状維持型のものが多くはないだろうか。そのことが、経済原理に掉さして、かえって矛盾を拡大し、経済の新陳代謝を阻害してはいないだろうか。

 ケインズも、需要不足の際に政府が財政出動することは提唱したが、供給制約に対して財政出動することは想定していなかったはずだ。

 むしろ、経済の新陳代謝を阻害せず、供給制約が強まる中で産業構造の大胆な変化を促すことこそ、日本経済の未来のためには必要であることをしっかりと認識すべきときだ。
                                                (月刊『時評』2025年2月号掲載)