2024/11/06
2023年、日本のドル換算での名目GDP(国内総生産)は4兆2308億ドルとなり、ドイツの4兆4298億ドルを下回って世界第4位に転落する見通しであると、IMF(国際通貨基金)が発表した。
かつて、米国に次ぐ世界第2位の経済大国として、最盛期には世界のGDPの2割近くを占めていた日本経済だが、いまや、その割合は5パーセントほどにまで落ち込んでいる。
2010年に、日本のGDPは中国に抜かれて世界第3位となったが、抜き去られた後、あっという間に中国の背中ははるかに遠くなった。2023年の中国のGDPは17兆7009億ドル、実に日本の4倍以上となると見込まれている。
また、国民の豊かさの指標となる一人当たりGDPは、3万4000ドル弱で、世界第32位だ(2022年IMF統計)。
世界第7位の米国が7万6000ドル強であるから、その半分以下でしかない。
2023年には、日本の一人当たりGDPは韓国を下回るという試算もある(日本経済研究センター)。
これらの指標は、日本経済の「成績表」だ。いわゆる「失われた30年」はあまりに重たく、日本経済の凋落は明らかだ。日本国民は、相対的に貧しくなった。
しかし、この30年は、自然に「失われた」のではなく、私たちの選択の誤りに起因して「失った」ものではなかったか。
そうした過ちを率直に認めて反省しなければ、「失われた30年」は「失われた40年」「失われた50年」となり、日本経済の凋落は止まらないだろう。
それでは、私たちが直視すべき過ちとは何であったろうか。
大胆に要約すれば、政府も国民も、目先にとらわれて長期的ビジョンを持たず、当座の苦しさを紛らわせるばかりで時間を使ってしまったのではないか。
日本経済の凋落の根本的な原因は、成長力の喪失だ。
そこに目を向けず、当面の場当たり的な対応を私たちは重ねてこなかったか。
労働人口が減少する中で成長力を維持・増大させるためには、生産性の向上が不可欠となるが(投資も生産性の高いところに向かう)、日本生産性本部の「労働生産性の国際比較2022」によれば、日本の時間当たり労働生産性はOECD加盟38カ国中第27位であり、1970年以降で最低の順位にまで落ち込んでいる。
生産性を上げ、成長につなげていくためには、市場競争を通じて新陳代謝を進めることが必要であり、そこで生じる「痛み」を厭うて回避してはならないはずだ。
もちろん、一国の経済が一時的な需要不足で苦しい場合は、財政によって有効需要を生み出して乗り越えるべきだが、長く財政に頼るばかりでは、成長力は衰える。
また、金融政策は、本来、政府から独立した中央銀行が、物価の安定(通貨価値の 保全)のために進めるべきものだ。
日本のあまりに長きにわたる異次元の緩和政策は、本来であれば淘汰されるべき企業を延命させ、むしろ日本経済の成長力を削いではこなかったか。すでに異次元の金融緩和政策は限界を迎えており、出口を明確にすべき段階に来ている。
他方で、さまざまな目先の理由によって実施されてきた給付金や補助金を、日本国民は当然のように思い始め、「働いたら負け」「がんばったら損」という状況になってしまっている。
こうした状況が続く中、日本の競争力が落ち込むことは、ある意味で当然だ。
実際、スイスの国際経営開発研究所(IMD)の「世界競争力ランキング2023」によると、日本の競争力は64カ国中第35位で、過去最低の順位だ。
19世紀初頭、ドイツの哲学者フィヒテは、神聖ローマ帝国の崩壊の失意の下で利己心にとらわれ、道義心すら失った人々に対して、精神的な目をもって自分の目で実を見るドイツ精神の回復を訴えた(「ドイツ国民に告ぐ」)。
そのひそみに倣えば、いま、私たちは日本国民に告げなければならない。
私たちの日本は、転落を始めている。この状況を反転させていくためには、国民が自分の目で現実を直視し、自らなすべきことをなすことが必要だ。
自らの生産性を向上させず、ただ、政府による再分配を求めているだけでは、分厚い中間層は復活・持続しない。国民一人一人が、自らの生産性を高め、自らの足で立ってこそ、この国の未来は拓ける。
政府は、その場しのぎのような対応を繰り返す余裕はない。
厳しい国際環境にあって防衛費の増額は不可欠であり、その財源は国民が支払うほかはない。少子化対策も根本的には中間層の復活こそが決め手であって、お金のバラマキで解決するものではない。政府支出の合理化も限界で、人材が不足しつつある。
他方で、国の財政は危機的状況にある。
国民一人一人が学び、踏ん張り、競争して、生産性を高めなければ、この国に明るい未来はない。
そうした厳しいが正直なことを政府は国民に告げるべき時だ。
日本経済の「成績表」は、反省に基づく新たな取り組みの必要性を示す明確なメッセージである。
(月刊『時評』2023年12月号掲載)