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【時事評論】世界秩序システムの大転換

ウクライナ侵攻後の世界を生きる覚悟

pixabay
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 ロシアがウクライナに軍事侵攻した。

 ウクライナは抵抗し、世界はウクライナへの共感と連帯を示しつつ(自由と民主主義と平和を求めて)、ロシアに対する経済制裁等を今までにないレベルで実施した。

 毎日のように、ウクライナの厳しい情勢を私たちはニュースで見聞してきた。多くの人々が、これが二十一世紀の世界で起きていることを信じがたく思ってきた。

 本稿執筆時点で、今後の事態がどう推移するかは見通せない。どのような形で事態の収拾がなされるにせよ、中長期的な将来像となると、まさに五里霧中だ。

 しかし、一つ確かだと思われることがある。

 それは、今回のロシアのウクライナ侵攻によって、世界の安定の基礎となってきた人々の共通認識が崩れてしまったということだ。人々が信じてきた「世界秩序システム」が大きな転換を迎えたと言ってもいい。

 経済関係の拡大・深化は戦争を遠ざけるはずであり、核兵器は使えない兵器となったはずであり、国際的な安全保障に関する約束は守られるはずであり、国連は「ならず者」に対して有効に機能して平和を維持するはずだった。

 クラウゼヴィッツの「戦争とは、政治目的を達成するための手段である」という考え方は、もはや合理性を持ちえない時代になったはずだった。

 しかし、二度の世界大戦と東西冷戦を経て作り上げた「世界秩序システム」がいかに脆いものであったかを私たちは目撃してしまった。尊い人命が多く失われ、多くの難民が生まれてしまった。

 このため、各国の安全保障政策に関する認識もすでに大きく変化しつつある。

 ドイツのショルツ首相は「新たな現実には明確な答えが必要だ」と強調し、ウクライナへの対戦車兵器などの供与を決めた一方で、自国の国防費を国内総生産(GDP)の2%以上に引き上げる方針を示した。具体的に、核爆弾も搭載可能な米国の最新鋭ステルス戦闘機F35を35機調達するともいう。

 NATO非加盟のフィンランドやスウェーデンは、ウクライナ情勢に関するNATOの会議に参加し、実際に、ウクライナへの武器供与にも踏み出した。将来的なNATO加盟も視野に入れていると言われており、そうした方針に賛同する国民も一躍増大したと伝えられている。

 永世中立国のスイスは、長年の慣例を破って対ロシア制裁に加わった。国際法上、中立国に求められる義務は、兵士の派遣や武器の供給を通して当事国を支援しないこと、紛争当事国に対して自国の領土を利用させないこと、軍事同盟に参加しないこと、であるから、今回のスイスの対応は中立を放棄するものではない。それでも、バイデン米国大統領が議会において「スイスでさえロシアにダメージを与え、ウクライナの人々を支援している」と述べるほどのインパクトがあった。

 トランプ前米国大統領時代に、コスト負担をめぐってぎくしゃくしたNATOは、ロシアの思惑とは逆に、結束を強めた。

 三月下旬、バイデン大統領は、NATOや欧州理事会、G7の首脳会合に参加し、主要国の結束を強め、ロシアのプーチン大統領を声高に強い表現で批判した。

 こうした中、日本もロシアの軍事侵攻を非難し、ウクライナを支持し、西側諸国とともに、これまでにない経済制裁の実施に踏み切った。北方領土をめぐる事情もあって、対ロシア政策に深謀遠慮を巡らせてきた政府も、ロシア非難の立場を鮮明にした。

 しかし、従来の「世界秩序システム」が脆弱性をさらした今、日本として考えねばならないことは、対ロシア政策を越えた自国の安全保障の在り方そのものであろう。

 ロシアのウクライナ侵攻という事態が発生する前からの方針であったが、現在、わが国では、新たな国家安全保障戦略、防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画の今年中の策定に向けた検討が始まっている。

 見直し方針が決定された時点では想定されていなかった今般のロシアの軍事侵攻を受けて、「世界秩序システム」の転換を見極め、真に実効的な安全保障戦略を構築し、必要な政策を大胆かつ繊細に展開していく必要がある。

 もちろん、冷静に国際政治経済の現実を見れば、日米安全保障条約を基礎としてわが国の安全を考えるという基本方針は堅持すべきだ。

 重要なポイントは、そこで思考停止に陥ることなく、「ウクライナ侵攻後の世界」において、どのような新たな世界秩序システムを構築すべきかを考え、それをいかにして実現するかを具体的な政策に落とし込んでいくということだろう。

 従来の「世界秩序システム」が脆弱性をさらす中、日本が位置するアジア太平洋地域は、多くの課題を抱えている。

 日本は、自由と民主主義に立脚する国家として、主体的に新たな世界秩序システムを構想し実現していくべきだ。

 その覚悟が、いま、私たちに問われている。
                                             (月刊『時評』2022年5月号掲載)