2024/11/06
2月4日から、新型コロナの爆発的感染拡大でもない限り、北京で冬季オリンピック・パラリンピックが開催される。
今回の北京冬季オリンピック・パラリンピックについては、開催国である中国の新疆ウイグル自治区などでの人権状況を理由に、もともと人権重視を掲げる米国バイデン政権が政府関係者を派遣しない「外交的ボイコット」を表明しており、オーストラリア、英国、カナダが追随している。
米国ホワイトハウスのサキ報道官は「人権侵害が行われている状況下では通常通りに対応するわけにいかないというメッセージになる」と強調している。
このような中、わが国も「外交的ボイコット」という言葉は避けつつ、自らの判断として(明確に人権問題を理由ともせず)、閣僚ら政府代表の派遣を見送るとした。他方で、現職国会議員で元五輪担当大臣である東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長らが出席するという。
まさに米中の対立の構図の中での隘路を際どく進まざるを得ない日本の立場を象徴する判断であろう。
今後とも、わが国は、米中の狭間で今回のような神経質にならざるを得ない判断を積み重ねていくほかはないが、その際に「相手を黒く塗っておいて、黒いと批判する」という愚を犯してはならない。むしろ、「相手の靴を履く」ことで、適切な判断をしていくことが肝要だ。
歴史を振り返っても、感情的な先入観にとらわれて選択を誤った例は多い。
確かに、中国は権威主義的な一党独裁国家であり、そのような国家がわが国の同盟国である米国を凌駕して巨大化し覇権を狙うとなれば、隣国・日本としても警戒感を高めざるを得ない。
また、中国の振る舞いが、褒められたのではないことが多々あることも事実だ。
しかし、あえて中国の立場になって考えてみれば、やみくもに相手を敵視していては見えないものが見えてくるはずだ。
広大な国土と膨大な人口を抱える中、貧富の差が拡大して人々の不満が高まる一方、急速な少子高齢化が進展する。経済格差の進展と人口ボーナスの消失で、経済成長が止まる危機感があろう。
喉元には、対立する米国の同盟国・日本が存在し、多くの米軍がそこに駐留している。それは、米国本土に対するキューバのような地政学的な位置に「不沈空母」たる日本があるということだ。
歴史的には、中国本土と台湾という事実上の「分断国家」であるとの認識が捨てられない。昨年秋、習近平国家主席が辛亥革命から110年となる記念式典での演説で「祖国の完全統一という歴史的任務は必ず実現しなければならず、また、必ず実現できる」と述べたのは、その表れだ。
こうした条件の下で、14億人を超える国民に対峙していかに安定的な統治を実現するかという政治的難題に直面する中国から見える世界像を理解した上で、対応をしていく必要がある。
中国が権威主義的一党独裁国家であって、民主主義や自由といった基本的価値観をわれわれと共有できないとしても、その存在を否定することはできないし、すべきでもない。そうであれば、共存するためのルールを作っていくほかはない。
幸いにして、と言うべきだろうが、かつての米ソ冷戦時代のソ連とは異なり、中国は、日米を含めたグローバルな経済的相互依存関係を深めており、経済的なウィン=ウィン関係を求めることができる。
もちろん、安全保障の観点から真に必要なケースにおいては経済的な合理性を超える判断をすべき場合はある。他方で、安全保障を絶対的価値として、あらゆる点で中国とのデカップリングこそが重要だ、自国で完全な自立性と不可欠性を確保すべきだ、という一部の勇ましいファナティックな主張には賛成できない。
例えば、米国債の保有国をみると、中国は日本と並ぶ大口引受者で、全米国債のおよそ15パーセントを保有している。香港の保有分を含めるとさらにその割合は大きくなる。中国の立場からすれば、米国のインド太平洋艦隊が活動できているのも自分たちのおかげと言いたいのではないか。
貿易面を見ても、日米中の間の貿易関係が抜き差しならないほど深化していることは明らかだ。
このような経済的な相互依存関係の深化を無視して、勇ましい全面的「デカップリング」論などを声高に叫ぶことは、「歴史の法廷」の裁きに耐えられないであろう。
むしろ、冷静に折り合いをつけていく努力をお互いに積み重ねて、互恵的な共存のルールを確立していくべきだ。
昨年秋の米中首脳会談でバイデン大統領が言及した「ガードレール」(両国が衝突しないための取り組み)とは、まさにそのようなルールを作っていくための第一歩だ。
米中対立の間で、際どい隘路を進むほかはない日本は、逆説的だがそれ故に、そうしたルール形成において歴史的役割を果たせる可能性がある。
そうした役割を果たすことが、日本の名誉であり、長期的な安全保障の基礎ともなるはずだ。
日中国交正常化50年となる今年、改めて互恵的共存ルール形成の重要性を確認しておきたい。
(月刊『時評』2022年2月号掲載)