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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第206夜】

菜々子の憲法解釈

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

尖閣諸島は紛争地なのか

 「日本政府は、尖閣諸島は日本固有の領土であるなどと意固地にならず、国際紛争地であると認めて、中国との外交による解決を図るべきだ」と、元内閣総理大臣が世界に触れ回っているとか。中国共産党の支配下新聞が取材記事を載せ、それを日本の国内商業新聞が転載している。菜々子など一国民のつぶやきであれば、「そういう見解もあるか」で済まされようが、仮にも元総理が正式の取材を受けての発言である。後日、記事に対して「真意は違う」などと訂正申入れをしたとの追加報道もない。「宇宙人のたわごとだから相手にしないように」と日本政府が公式表明を出したとも聞かない。国家反逆者であるとマスコミが集中砲火を浴びせることもない。

 ヨーロッパの地図にエストニアやスロベニアの場所を正確に書き込める日本人が何割いるか。同様にEU加盟諸国の人々で、アジア地図に日本、台湾、香港、沖縄、尖閣の場所を正確に示せる人が何割いるか。声を上げなければ、存在にすら気づかれない。

 「この岩礁(尖閣)はわが領土である。そう明記した鉢巻きを公式ユニフォームとして採用し、外交官も商社員も常時身に着けさせるべきだ」。Yさんの主張に思わず拍手した。

 しかるに現実の政府はどうか。虎ノ門にある領土・主権展示館パンフレット(内閣官房作成)では、「尖閣諸島が日本領土であることは歴史的にも明らかであり、現にわが国はこれを有効に支配しています。したがって、尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません」。

 元総理大臣は、明確に国家の方針に反する言動を繰り返している。

中国の主張

 パンフレットは、「中国が尖閣の領有権を主張するようになったのは石油埋蔵が言われ始めた1970年代になってから」との〝事実”を述べるが、事実として重要なのは沖縄返還後であるということだ。アメリカ統治時代には何も言わず、日本に施政権が戻ってから言い出した。アメリカは売られた喧嘩を本気で買うが、日本政府は商売第一だから戦わない。

 その見切りに基づいて、中国政府は1971年の晦日に公式声明で「明の時代から台湾の付属島嶼であり、日本がその後にかすめ取った」と述べた。中国大陸に〝明”という国があったのは事実だが、その国の領土が当然に現在の中華人民共和国に引き継がれなければならない
との論理は通用しない。台湾は現実にも中華人民共和国の統治下にはない。

 「シーザーが征服した地域なのだから、西ヨーロッパから北アフリカ、中東はすべてイタリアの領土である」。そんな主張をしたらどうなるか。袋叩きに遭い、イタリア人は該当地域から入国拒否、イタリア商品も不買運動の対象になろう。だからムッソリーニだって、そこまでの誇大妄想を抱かなかった。しかし日本国政府は中国政府の妄想を受け入れた。

 昨年11月半ばに中国の外相がやってきた。世界の民主主義国からウイグルや香港での人権抑圧の悪業を責め立てられ、日本に救いを求めた。当然、日本政府は「尖閣から手を引くことが交渉の前提条件」と宣告するはずだったが、記者会見で中国外相は「日本政府は日本漁船を尖閣領域に入れるな」と演説し、日本の茂木外相は反論しなかった。

 この放送を見た世界中の人がどう受け取るか。「日本が中国の固有領土である尖閣にちょっかいを出しているのを中国外相が出かけて抗議したところ、日本政府は反論できずに引き下がった」。通商再開に合意したことが、その何よりの証拠。奪われた領土の一つ、島根県の竹島では、1953年に日本の巡視船が韓国の艦船から銃撃されている。そのときにかなわぬまでも反撃していれば、その後の開港交渉で正論を貫けた。それと同じ構造が現在の尖閣に生じている。

 「責任を取って腹を切る」。今回のお粗末で外務省のトップ以下が実行すれば、失態を多少は取り戻せるだろう。Yさんは怒髪天を衝く勢い。

国民のバックアップが重要

 「『尖閣に解決しなければならない領有権問題はない』という日本政府の弁が国際社会で、現実問題として通用しているのかどうか」とYさん。この人、某経済官庁の元高級官僚。在外公館勤務経験もある。

 「尖閣諸島の近辺水域には、連日、中国政府の艦艇が入り込んでいるし、上空を中国の航空機が侵犯しても日本政府は撃墜しなかった。環境大臣は島の生物調査をするのに、わざわざ職員を上陸させないと言った。立場が逆だったらどうなるか。国内強硬派から、『相手からシグナルが出ているのになぜ奪還攻撃しないのか』と国会で追及され、躊躇すれば政権が倒れかねない」

 国内企業の商益を確保するために各国政府と交渉で渡り合った体験に基づく話を聞かせてくれた。「交渉は相互の代表がテーブルで向かい合う時点ではほぼ決しています。勝つか、負けるかは、双方が持つカードの数と強さ。決裂したときに負う被害の大きさですな。最終的には軍事衝突の帰趨。この点で、憲法の制約がある日本は不利です」

 これが庶民にはピンとこない。「ビジネスの交渉で軍事力がどうして関係するのか」。菜々子は一国民、一有権者として、元ではあるが上級国家官僚に質問した。Yさんの答えは明瞭そのもの。

 「いきなり戦争に訴える国はありません。国際世論がありますし、何よりも理不尽なことをすれば、将来の復讐が怖い。この点、今の日本は中国との関係では最悪です。日本は尖閣を守らなければ国民が黙っていませんが、国際的には中国に理があるという宣伝が行き渡っています。日本国民の復讐に関しては、南京虐殺などでっち上げの効果で、復讐の権利は中国側にあると双方の国民が誤認しています。しかも北朝鮮拉致被害者の一件を見ても、日本が本気で闘う気概を失っていると判断する要素があり過ぎます」

軍事力の行使

 中国は国力を傾注して軍備増強に血道を挙げている。先般はインドとの紛争地域で電磁波を使った新兵器を使ったとされている。核兵器のほか、生物兵器や化学兵器、さらには宇宙兵器にサイバー兵器。軍縮条約などどこ吹く風だと言わんばかり。そうした国から本気で攻められたら勝ち目はない。

 「そういう弱気にさせるのが侵略性向のある国の常とう手段。孫子の『戦わずして勝つ』法則です。しかし独裁国は案外弱い面があります」とYさん。「国民に真の愛国心はなく、勝っているから応援しているだけ。野球の巨人軍ファンのようなもので、負けが込むと応援に行かなくなります」

 「攻め込んでみたものの猛烈な抵抗に遭い、一人っ子だった兵士の戦死で親たちが懐疑心を持ち始め、そこから大帝国が一挙に瓦解する例は、歴史にいくつもあります。例えばアケメネス朝ペルシャの…」。Yさんの該博を披露させたら、話が前に行かない。

 「さきほど日本人の淡白さを嘆いていたわよね。戦意の点では日本も楽観できないのでは」

 「憲法の呪縛をはずせば大丈夫。戦争放棄、武備廃止の9条を取り除けば、日本人は国家防衛に立ち上がります」

 そうかもしれないが、その憲法改正の制約が高すぎて立ち往生している。元高級官僚にしては方法論が甘い。では菜々子ママに、日本人の目を覚まさせる考えがあるのかと問われ、ネットで引き出した憲法条項を突き付けられた。前文から読む。

国民目線の憲法論

 「憲法改正は不要だわ。これが菜々子の結論よ」。Yさん、目を丸くしている。

 「1条の前に〝前文”がある。これが憲法の心髄だと思うわけよ。民主主義による国民主権が人類普遍の原則であるのだから、日本国民は国家の名誉にかけてこれを守り、世界に普及させると書いてあるわ。『専制と隷従、恐怖と欠乏から全世界の国民を開放する』とあるのだから、中国共産党に残虐行為をやめさせることで義務を果たさなければならない」

 「それでは中国政府に対する内政干渉ではないか」とYさん、不安になったようだ。

 でも菜々子の国語力では、前文を何度読み返しても、これ以外の解釈は出てこない。中国政府が政治的人権を容認し、国民主権国家に変われば問題解決。だが共産党独裁体制が崩壊しない限りあり得ないだろう。憲法順守する上での次善の方法は、中国とは断交しないまでも、通商や人的往来を最小限に抑え込み、欧米と協調し、あるいはそれ以上にウイグルや香港での抑圧への批判のボルテージを上げることだ。それを躊躇するのでは、憲法擁護義務を定めた99条の規定に違反する。習近平共産党主席を国賓として招くことになれば、お会いする天皇陛下も同条違反に問わなければならなくなる。

 「菜々子ママの国語力が憲法学者より上であることは認めるとしてだが、9条がある限り、自衛隊は軍隊になりえず、侵攻する中国軍兵士に発砲した隊員が殺人罪に問われることに変わりはない。善良な国民が緊急事態に緊急入隊しても、戦闘行為ができない烏合の衆でしかない。9条を廃止しない限り、どうにもならない」

 どうしてそういう結論になるのだろう。世界中を民主国家で満たすのが日本国憲法の根本思想。真の民主主義国民は「平和を愛し、公正と信義を信頼する」と前文で定義している。それを踏まえての9条の文言だから、「民主主義国間では戦争行為に訴えない」と宣言しているのである。この反対解釈は、「非民主主義国は武力を用いる可能性があるから油断するな」ということだ。つまり世界がすべて民主主義国になり「正義と秩序を基調とする国際平和を希求する」ことで、軍備も交戦権も行使する必要がなくなる。今はその段階ではない。

 「なるほどそういう解釈ができるのか」。Yさんは感心したけれど、大学でそういうふうに教わらなかったとしたら、法学の教授に日本語能力試験を受けさせる必要があるのでは。

(月刊『時評』2021年1月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。