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【時事評論】オーバーツーリズム?

本質的問題は「チープ・ジャパン」だ

Pixabay
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 観光客の急増で地元住民の生活や自然環境などに悪影響が及ぶ問題が注目を集めている。

 オーバーツーリズムだ。

 記憶に新しい一例は「コンビニと富士山の目隠し」だろう。

 山梨県富士河口湖町のコンビニエンスストアが富士山を撮影する名所として話題を呼び、海外から多くの観光客が殺到した。

 このため、近隣でのごみの散乱や交通妨害などの迷惑行為および危険行為が問題となり、当該コンビニエンスストアや自治体に苦情が多く寄せられたという。

 こうした事態を受けて、富士河口湖町が富士山を目隠しする高さ2・5メートルほどの黒い幕を設置するに至った。

 この一連の騒ぎはオーバーツーリズムの典型としてニュースになったが、この他にも海外からの観光客の急増を背景としたオーバーツーリズムに関する報道は数多い。

 こうしたオーバーツーリズムの発生要因として「専門家」は、観光客の「急増」と受け入れ態勢の「不備」を指摘する。

 対策として観光客の分散化やマナー向上の呼び掛けをすべきだと「専門家」は主張するが、さらに踏み込んで、政策的にインバウンド増加の旗を振ってきた国が、受け入れ態勢を整えるための支援を行うべきだという主張もある。

 オーバーツーリズムは、生活者の暮らしを脅かし、また観光資源自体を台無しにしてしまう恐れがあるから、現場である観光地では、当然ながら対策の必要性が強く認識され、実際にさまざまな取り組みも進められつつある。

 一つの有効な対策は、観光客の急増を抑制するために税金ないしは賦課金を課すことだ。

 「水の都」として有名なイタリアのベネチアでは、日帰り客に1日5ユーロの「入場料」を課すオーバーツーリズム対策を試行した。その成果によって今後の本格的な対策が決定されることになる。

 わが国でも、世界遺産である姫路城について、兵庫県姫路市が外国人観光客の入城料を高く設定することを検討すると明らかにした。また、大阪府でも、外国人観光客から「徴収金」を集めることを議論しているという。

 こうした議論に対して、外国人のみを対象とすることは憲法に違反するのではないかといった反対論もあるようだが、現状を鑑みれば、合理性を認める余地も十分にあるのではないか。

 日本政府としても、そもそも外国人の場合、入国に際して日本人とは異なる扱いをしている現実があるところ、国として「観光入国税」を賦課して、価格効果によって海外からの観光客急増を抑制し、他方でその収入をオーバーツーリズム対策に使うことを検討すべきではないか。

 また、富士山への入山者数の制限と通行料の徴収が始まった(山梨県側のルートのみ)が、特定の観光地への入場数を制限し、事前にネット予約することを原則とすることも、諸外国ではよく見られるところであり、こうした対策も直ちに広く行われるべきだ。

 とにかく海外からの旅行客を増やすことが目的だという政策論についてはいったん立ち止まり、こうしたオーバーツーリズム対策とバランスの取れた形で再構築すべきだろう。

 しかし、オーバーツーリズムから見えてくる深刻な本質的問題は、こうした対症療法的な対策で解決できるわけではない。

 オーバーツーリズムの根本には、看過してはならない「チープ・ジャパン」という深刻で重大な問題がある。

 海外からの観光客が急増したことがオーバーツーリズムの原因だというが、そもそも海外からの観光客が急増しているのはなぜかを問わなければならない。

 日本の魅力云々という説明もあるが、当然ながら、日本の数々の自然、文化、歴史などの魅力はここ最近になって誕生したものではない。

 また、他方で、日本人が海外旅行へ行くことは相当な贅沢となってしまっている。

 問題の根幹は、日本大安売りという「チープ・ジャパン」問題だ。

 近時の円安が「チープ・ジャパン」の大きな要因ではあるが、そうした円安をもたらしているのは、日本経済の状況と政策の在り方に他ならない。

 円安問題について、わが国のエコノミストは米国の金利引き下げがいつかと論じがちだが、論じるべき問題は、日本の金利引き上げがいつ、どれだけなされるかだ。

 諸外国がインフレ対策として金利を引き上げていった中、日本だけが経済の足腰の弱さを懸念して取り残され、結果として国民に大きな負担を強いている現実を直視しなくてはならない。

 そもそも日本銀行の本来的責務は、政府から独立した立場からの通貨価値の維持であることを忘れてはならない。現下の円安とインフレは、その本務の失敗だ。
 
 歴史的ともいうべき現在の「チープ・ジャパン」は、国民に多大な負担を強いる国辱的失敗であることを銘記して、早急な正常化を進めるべきだ。

 オーバーツーリズムは、その中で自ずと解決されるべき派生的な問題であり、根本を無視した対症療法ばかりに関心を寄せるべきではない。
                                                  (月刊『時評』2024年8月号掲載)